前回の1998年の日本一達成以来、26年もの長きにわたり、ベイスターズのファンは勝利に酔いしれる夜はあっても、大半は悔しがり、嘆き、涙を流し、悲しみとともに過ごしてきた。それらのつらい気持ちはすべて、今年の歓喜を味わうためだった! 4人の論客本誌担当が寄稿。26年間のベイスターズの記憶の中で、忘れられない瞬間はどこにありましたか? 文=村瀬秀信(ノンフィクション作家) 
2016年10月14日、広島とのCSファイナルステージ第3戦。8回にエルドレッド[広島]の邪飛を好捕した石川[左]だったが、右肘を強打[右はロペス]
殺伐とした空気の時代
「横浜へ帰ろう」
今年の日本シリーズ、2連敗でスタートしたベイスターズが福岡で誓ったその言葉は第3戦から流れをつかみ取り、3連勝で現実のものとしたことは記憶に新しい。
1998年、日本シリーズ。敵地で2連敗を喫したときも、
権藤博は「横浜へ帰れば必ず勝てる。あの満員の観客の声援は何よりの力だ」と確信し、今年と同じ第6戦で日本一を決めた。
あれから26年。長かった。長過ぎるその年月の間に、ベイスターズは紆余曲折、毀誉褒貶、すったもんだがありまして。大声援の観客は姿を消し、横浜に居ながら横浜の球団であることを忘れたかのような時代があった。
2008年~12年まで、世の中の負けという負けをすべて請け負ったかのような時代。スタジアムは連敗が続くとヤジが飛び交い、殺伐とした空気がいつもあった。思い出す。2011年の本拠地最終戦。真っ青に染まったハマスタは、同じ青でもドラゴンズブルーだった。シーズンオフには身売りか、本拠地移転か、解散かなんて噂が飛び交うなかでの試合は
中日が優勝を決め、横浜ベイスターズはあいさつの一つもなく幕を閉じた。本拠地なのに。これで終わりなのか。虚しく憤ったことを覚えている。
今考えればバカげた話に聞こえるが「今日こそはメガホンを投げる。ファンの意思を見せなきゃならないから」と本気で悩む青年がいた。どうしたら勝てるのか・・・
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