選手にとって担当スカウトは親同然の存在と言われる。ドラフトの交渉権獲得から春季キャンプ開始に至るまで、最も身近な存在としてプロ野球生活をサポートするからだ。担当スカウトの目に“息子”の姿はどう映っているのか。スタンドから見届けた明大時代の成長記録と今後の期待を語る。 取材・文=壁井裕貴 
大学2年の6月に行われた侍ジャパン大学代表候補合宿に参加した宗山。この日、視察にきた沖原スカウトは「ドラフト1位」を確信した[写真=矢野寿明]
明大での急成長
攻守走バランスの取れた遊撃手として、2024年のドラフトの中心だった
宗山塁。広陵高時代は1年夏、2年春の甲子園に出場した。右投げ左打ちの内野手として名門校をけん引したが、高校3年生時点で「ドラフト候補」に挙がる存在ではなかった。3年時はコロナ禍で春以降の公式戦が中止。甲子園出場を懸けた
広島大会も中止と、アピールする機会がなかったことも影響される。宗山は当初から「大学進学→4年後にドラフト指名」という青写真を描いていた。
宗山の担当スカウトを務めた
楽天・
沖原佳典東日本エリアマネージャーは入学時、目に留まる存在ではなかったと振り返る。しかし4年後にはこのように語っているのだ。
「私のスカウト人生で(プロ入り段階で)ここまで技術的な欠点がないと思わせる野手は初めてです」
宗山はいかにしてそれほどの成長を遂げたのか――。
沖原スカウトが宗山を目にしたのは明大1年の春。すでに同春途中からレギュラー遊撃手として、神宮で躍動していた。
「初めて見たときの印象としては、まず守備がうまいなと。肩が強く、スローイングも良い。その2つが特に光っていて、バッティングにもセンスがある。その後・・・
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