佐々木朗希がロッテで過ごしたのは5年間。ラストイヤーの昨年、初の2ケタ勝利を挙げたが、規定投球回に達した経験は一度もなく、昨オフのポスティング容認は「時期尚早ではないか」という声もあった。マリーンズでの5シーズンを振り返る。 
昨年11月のファン感謝デーが、佐々木にとってロッテファンにお別れを直接伝えた最後の機会だった[右端は吉井理人監督]
プロ1年目 登板なしも一軍帯同
佐々木朗希がNPBで過ごした5年間は、壮大な目標をなしえるために、必要不可欠な時間だった。
2019年のドラフト会議では
日本ハム、
楽天、
西武、ロッテと計4球団が1位競合。ロッテ・
井口資仁監督(当時)が引き当て、大船渡高からマリーンズへ入団した。託された背番号『17』は同郷の先輩・
大谷翔平(当時エンゼルス)と同じで、そして170キロへの期待も込められていた。19年11月30日のロッテ入団会見では、「個人としては沢村賞が投手の中で一番高い賞だと思う。そこを目指してやっていきたい」と誓いを立てた。
ルーキーイヤーの20年は、年明け早々に地元・大船渡での自主トレでブルペン入りした。2月頃から新型コロナ禍となったが、春季キャンプから一軍に帯同。開幕メンバー入りはならなかったものの・・・
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