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165キロ右腕、23歳のMLB挑戦 佐々木朗希の謎

<特集巻末COLUMN>佐々木朗希の生き様 ベールに包まれた志

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大船渡高3年夏。背番号1のエースは地元の仲間と甲子園を目指した


 佐々木朗希は大船渡高での3年間、単独インタビューに応じることはなかった。それは、なぜか。周囲が配慮していたからである。2011年3月11日の東日本大震災で被災。父・功太さんは津波の犠牲になった。それまでの日常が一変。佐々木は生まれ育った陸前高田市から大船渡市へ移住した。高田小から同市内の猪川小へ転校し、大船渡一中時代には141キロを計測。県内外の強豪私学から熱心な勧誘があったが、大船渡高に進学した。地元に残った理由は――。

 大船渡高でバッテリーを組んだ及川惠介とは、小学校時代に在籍した高田スポーツ少年団でチームメートだった。ところが「3.11」を機に離ればなれに。だが、及川は“恩”を忘れなかった。当時、スポーツ少年団で面倒見の良かった功太さんへ対する感謝の気持ち。いずれは佐々木とバッテリーを組むことを見据え、猛練習に励んだ。そして、2人はオール気仙で再会し、息の合ったコンビを披露。高校進学に際しては、及川が電話で佐々木を積極的に勧誘し、佐々木は親友の“思い”に応えた。

 1年夏に147キロ、2年春に154キロ、同秋には157キロと数字を伸ばしていた。取り巻く環境が激変したのは19年4月6日。高校日本代表候補として参加した国際大会対策研修合宿のケース打撃(紅白戦)で、自己最速を6キロ更新する163キロを計測した。12年夏に花巻東高・大谷翔平(ドジャース)がマークした高校生最速160キロを上回った。ドラフト戦線、報道各社の動きもヒートアップした。

 3年春の県大会沿岸南地区予選を前に・・・

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