東京六大学リーグ史上3人目の偉業を成すも、完全男の称号と、その後に訪れた現実とのギャップに、最後まで悩まされることになった。だが、学生時代に味わった栄光と苦しみが、のちの巨人のリリーフ左腕を強くした。 取材・構成=杉浦多夢 写真=BBM 
3年春に史上3人目の完全試合という偉業を達成したが……
“最後の”輝き
2013年4月21日に行われた東大2回戦で、史上3人目となる完全試合を達成。早大史上初のノーヒットノーランでもあった。1964年春の渡辺泰輔(慶大)、2000年秋の上重聡(立大)に次ぐ偉業でスポットライトを浴びたが、それは苦しみの始まりでもあった。 埼玉の出身だったので神宮球場に初めて足を踏み入れたのは大学1年生の春でした。「おお、やっぱりすごいな」と思ったのは覚えています。ただ、大学時代全体を振り返ると、うまくいかなかった記憶のほうが強いですね。完全試合をした3年の春以降は勝てなかったし、あまり投げることもできませんでしたから。
最初はすごく順調でした。1年の秋に5勝、2年の春に4勝。パフォーマンス的にはここがピークだったかもしれません。2年の秋は左肘と左足首の痛みに苦しみ、12月には左足首の手術もしています。だから、ピークアウトしているけど完全試合をやってしまった、という感じだと思います。
もちろん完全試合をした日の調子は良かったです。当時からコントロールがいいわけではなかったんですが、「キャッチャーが構えたところに結構行くな」と思っていました。前日(東大1回戦)に同級生の有原(
有原航平、現
ソフトバンク)も、確か7回途中くらいまで完全投球をしていたんです。まともにバットに当てさせない感じで。僕の場合はいい当たりのライナーが正面を突く、みたいなことが続いていたんですけど、それでも前日の有原のイメージが頭に残っていて、5回が終わったくらいからちょっと狙っていたところはありました。
結局は「めちゃくちゃ運が良かった」ということ。それでも「最後は三振取りたいな」と思いながら、三振で終われたのはよかったと思います。「みんなの記憶に残ることをやったのかな」という気持ちはありましたけど、達成感や喜びというよりも・・・
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