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<SPECIAL TALK>篠塚和典×中畑清 対談 俺たちの長嶋茂雄──

 

野球史に燦然と輝くミスタープロ野球。長嶋茂雄が監督に就任した1975年秋のドラフトで同期として巨人に入団した2人の“愛弟子”が、師匠であり神様である「ミスター」を語り尽くす。
取材・構成=杉浦多夢 写真=兼村竜介、BBM


同期ドライチの因縁


──長嶋さんが亡くなってから時間がたちましたが、少しは気持ちの整理がついたのでしょうか。

中畑 俺は亡くなったと思ってないからね。常に空の上から眺めてくれたり、声を掛けてくれたり、見てくれているという感じがある。下手なことをしたら、あの高い声で「お前はバカか!」って言われそうな気がするからね。

篠塚 僕も一緒ですね。ミスターが病に倒れてからはお会いする機会も少なくなっていたので、今でもまだまだリハビリを頑張っているんじゃないかという感覚が消えないです。

中畑 いつまでも悲しんでいたら、「メソメソしてるんじゃない!」って怒られる気もするからな。

──2人は長嶋第一次政権のドラフト同期で、1976年に巨人へ入団されています。ドラフト直前は中畑さんが1位指名と言われていたそうですが……。

中畑 ドラフト当日の『報知新聞』にデカデカと「中畑、巨人!」って載っていれば、そう思うじゃない。ところがフタを開けてみれば「篠塚」だ。「なんで篠塚なんだ!」「誰だ、篠塚って」とそのときは思ったよね。いや、シノでよかったんだけどさ。こっちは自分だと思ってたから。

篠塚 僕もびっくりですよ。そもそもノンプロでと思っていたし、日本石油(現ENEOS)に行くことが決まっていましたから。ドラフトの1週間くらい前に当時の銚子商高の斎藤一之監督から、「巨人から獲りたいという連絡が来た」とは聞いていたんですけど、新聞を見ても「巨人は中畑1位」って出てましたからね。

中畑 長嶋さんの眼力と信念だよね。病人なのに(篠塚氏は高校3年時に肋膜炎で約3カ月入院していた)、スカウトの進言も関係なく、甲子園で見たときから「篠塚で行くんだ」と決めていたんだ。

篠塚 でも素直には喜べなかったですね。病気のこともあって体力的に不安がありましたし、ジャイアンツの練習は厳しいって言われていましたからね。だから2年くらい社会人で体力をつけて、それでまた声が掛かればと思っていました。実際、中畑さんなんかすごく体が大きかったですからね。

中畑 声もでかいし、態度もでかい(笑)。

篠塚 いやいや(笑)。球団からは「3年間は鍛えるから」と言われていましたけど、「長嶋さんに恥をかかせちゃいけない」という思いで必死でしたね。

中畑 俺は1年目のキャンプのときに監督室に呼ばれたんだけど、シノは二軍だったからいなかったよな。最初に長嶋さんと会ったのはいつだったの。

篠塚 ドラフトで銚子に来てもらったときですね。小さいときから「こういう選手になりたい」と思っていた人が目の前にいるんだけど、最初に思ったのが「目の色がブルーだ」っていう。

中畑 俺は「グリーン」だと思った。見る人によって目の色が変わるんだよね。それも人を惹きつけるところですよ。

篠塚 本当にあこがれの人だったから、僕の場合は「あまり近寄らないでおこう」というのがありました。監督と選手という立場になっても、小さいときにテレビで見ていたのと同じように、ミスターの行動を見るのが楽しくて。バッティング練習でもノックを受けていても外野を走っていても、ついミスターのことを探しちゃう。ミスターのほうから声を掛けてもらうのを待っていて、声を掛けてもらうために頑張るというね。

中畑 俺もシノと同じ気持ちだったけど、もっとワンパターンでね。だからコーチの土井さん(土井正三)に「監督の前では調子が悪くても『絶好調!』と言わなきゃダメだ!」と怒られて、監督の前まで行って・・・

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