1995年に野茂英雄が海を渡って以降、毎年、NPB選手がメジャーに挑戦した。それが当たり前となっていた2008年。ドラフト目玉の社会人投手が日本球界入りを拒否し、メジャー挑戦を表明。異例のメジャー契約を結んだ。今後を危惧したNPBは「田澤ルール」を設定も、自身の意志を貫き、13年には世界一に貢献。前例のない道を歩んだ「パイオニア」だった。 写真=Getty Images、BBM 
レッドソックスとメジャー契約を結んだあと、小誌2009年1月26日の『週刊ベースボール』のインタビューに登場した田澤。ここから実働で9年MLBのリリーバーとして活躍した
トミー・ジョン手術を経て渡米5年目に頂点
民主主義における「職業選択の自由」は重要な権利。
田澤純一はその法的な力と向き合った。2008年、高卒4年目の新日本石油ENEOS・田澤は13年ぶりの都市対抗優勝に貢献し、MVPにあたる橋戸賞を受賞。同年ドラフトにおける目玉の一人でもあった。黒獅子旗奪取から2日後の9月11日、田澤は記者会見を開き、メジャー挑戦の意思を表明。同時にNPB12球団宛にドラフト指名を見送るよう求める文書を送付した。
「アメリカのトレーニングは進んでいる。それを学びたいし、挑戦すれば成長できると思った。投手として野球が楽しいと思いたいので、それがアメリカで体現できればと思っています」
田澤の目は輝いていた。結局10月30日のNPBドラフトで指名されなかった。これにより11月に入りブレーブス、マリナーズなど7球団のメジャー球団から誘いを受け、12月4日にレッドソックスと3年総額400万ドル(推定)で契約を結んだ。
この一連の流れは、大きな波紋を呼んだ。日本球界から有望アマチュア選手のメジャー流出。NPBのドラフト制度崩壊を危惧する声が多く挙がった。これによりNPBドラフト指名を拒否して、海外のプロ野球球団(MLB、マイナーを含むアメリカなどの独立リーグや、台湾・韓国・中米諸国などのプロリーグも含む)と契約した選手は・・・
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