ドミニカ共和国出身の外国人選手は、今や日本球界になくてはならない存在だが、“ドミニカ・ルート”を最初に開拓したのは広島だと言っていいだろう。1990年11月下旬、同国にカープアカデミーが開校。以来、多くのドミニカンが広島のユニフォームに袖を通している。 写真=BBM 
95年に15勝をマークしたチェコ。報道陣からの注目度も高かった
トップクラスの環境面
広島は外国人選手の供給源として、早くからドミニカ共和国に着目した。首都のサントドミンゴから東へ60キロあまりのサンペドロ・デ・マコリスに野球学校の「アカデミー・オブ・ベースボール」を設立すると発表したのが1988年5月7日。以前から松田元オーナー代行(現オーナー兼球団社長)らが視察を重ねていた。
通称「カープアカデミー」と呼ばれる同校は90年11月29日に開校。メジャー・リーグを含めても、ドジャースに次ぐ同国では2チーム目の野球学校だった。コーチなどを経験した藤井博や
田中尊らが指導。91年の春季日南キャンプから選手が参加するようになった。
メジャーの野球学校と比較してもカープアカデミーの環境面はトップクラスだった。広大な敷地に試合ができる複数のグラウンドを設置。選手に提供する食事の質も高かったといわれる。
カープアカデミー出身で初めて選手登録されたのが92年の
ロビンソン・チェコ。20歳の本格派右腕は一軍での登板がなく、94年は台湾でプレーし、好成績を残すと・・・
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