1950年の創設から広島市民に支えられ、市民球団としての方向性を打ち出してきた。外国人選手の獲得にも独自性が光り、早くから「育てる」方針も。その路線の中で輝きを放って歴史を紡いできた、助っ人選手たちの足跡を見ていこう。 
1955年に入団、64年まで在籍した「フィーバー」こと平山智。引退後はスカウトとして黄金期への礎を築いた
当初はハワイ出身日系2世
広島には球団創設直後の1953年からハワイ出身の日系2世選手が在籍した。明治時代の1885年に始まった日本からハワイへの公的な移民(官約移民)は、広島からの渡航者が過半数を占めたと言われる。
阪神、阪急、
巨人などは戦前や終戦直後からハワイ出身の日系選手を獲得していたが、広島もハワイとの深い関係を生かし、積極的に日系2世の選手をチームに加えた。
1953年6月、カリフォルニア州フレズノに移住していた3選手の獲得が決定。後援会が集めた約400万円の募金が獲得資金になったようだ。来日し、契約を済ませた時点で広島市内をパレードすると約10万人が集まったという。3選手のうち、走攻守の三拍子がそろった外野手の
銭村健四は入団から約1カ月後に17試合連続安打を記録。翌54年には球宴出場を果たした。
「ハーベイ」の愛称で人気だった銭村健四に続き・・・
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