日本中を熱くさせる夏の甲子園。間もなく終わりを迎える平成の時代にも心に刻まれる名勝負が生まれてきた。その中から編集部が20試合をピックアップ。高校球児たちが紡いだ筋書きなきドラマを振り返ってみよう。 【平成8年】絶体絶命の場面で「奇跡のバックホーム」
松山商高6-3熊本工高(第78回大会決勝) 
タイミングは紙一重。走者の星子はセーフをアピールし、両手を広げた
それは平成だけではなく、甲子園史上に残る名勝負、そして“バックホーム”だった。大会決勝は、1902年創部で当時25回目の出場だった松山商高と23年創部で14回目の出場の熊本工高の伝統校同士の一戦となった。松山商高は10年ぶり、熊本工高は59年ぶりの頂上決戦だ。
試合は1回表に松山商高が3点を先制するも、熊本工高も粘りを見せ、2、8回に1点ずつを取って、2対3にし、1点差で迎えた9回裏には、二死に追い込まれながら、1年生の沢村幸明が起死回生のソロ本塁打で同点。勢いのまま10回裏には一、三塁と攻めた。ここで松山商が選んだ策は満塁策。同時に、松山商高の沢田勝彦監督はライトに強肩の矢野勝嗣を送った。直後の初球だった。本多大介の打球は代わったライト・矢野への大飛球。誰もがサヨナラ犠打と思ったが・・・
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