試合の全権を握る監督の“辞め方”にはいろいろある。自らの意思で辞任、あるいは完全なるクビ……。シビアに結果が出る分、円満辞任は数えるほどしかない。今年もまた、オリックス・西村徳文監督が、シーズン途中でユニフォームを脱ぐことになった。今回は、「監督交代」をテーマに球史を振り返ってみよう。 ロッテ・濃人渉監督、優勝翌年の電撃途中解任

70年優勝決定時の濃人監督
1971年7月23日、東京球場での
ロッテ-阪急戦の後、前年の優勝監督、しかも、首位阪急とは大差をつけられながらも2位につけていたロッテ・
濃人渉監督の異例の交代劇が起こった。この年、ロッテは7月13日の阪急戦(西宮)で中村長芳オーナーの指示で放棄試合をし、世論の批判を浴びていたのも背景にある。濃人監督は二軍に降格し、後任は
大沢啓二二軍監督。この日2人が同席しての会見が行われたが、濃人監督に告げられたのは、会見の直前だったという。大沢監督は8月になって正式に監督に就任し、5年契約でも驚かせた。同年ロッテは快進撃を見せ、2位に入ったが・・・
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