強肩を武器にした堅守と、一発を秘める意外性のある打力に手堅く犠打を決める。正遊撃手としてチームに貢献し、2度プレーオフに進出も、日本シリーズには一度も進出できず。悔しさが残る80年代。だが、名だたる選手の中でプレーしたことは、「プロの世界で生きた証」と言い切れる。 不安の中でスタートも
こんなところで勝負するのか──そう思ったものです。というのも、入団したての1976~78年は、現役通算400勝を挙げた金田(
金田正一)さんがチームの指揮を執り、レギュラーを見ても、サードに有藤(
有藤道世)さん、セカンドに山崎(
山崎裕之)さん、ファーストに
ラフィーバー。ピッチャー陣も
村田兆治さんを筆頭に、木樽(
木樽正明)さん、成田(
成田文男)さん、留広(
金田留広)さん、八木沢(
八木沢荘六)さんら錚々(そうそう)たるメンバーです。プロ野球のレギュラーは、こんな人たちがなるんだ、と思わずにはいられませんでした。私自身、大した選手ではなかったので、とてもじゃないけど自分がレギュラーになれるとは思っていなかったんです。
そんな中で転機となったのが80年でした。前年(79年)に
山内一弘さんが監督になられて、試合で使っていただけた。山内さんの戦力構想の中に入っていたのでしょう。(78年に)リーが入団し、打線はより強力になった。ピッチャー陣もそろっている。あとはショートをつくり上げれば、チームとして戦えるという算段だったはず。そんな中で私に目をつけ、抜てきしていただいたのだと思います。
あとから聞いた話ですが、山内さんはエースの村田さんには言っていたそうです。「水上をショートで育てる。だから我慢してくれ」と。ただ、村田さんは「冗談じゃない!」と返したそうですが(笑)。そりゃあ、そうですよね。ピッチャーからすれば、打ち取った打球をエラーされたら、たまりませんから。自分自身でも分かっていました。
だから・・・
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