1980年代の近鉄を支え続けた左の変則サイドハンドだ。82~83年にかけては、悪夢の11連敗も86年には自己最多の14勝をマーク。開幕投手も2度務める存在となった。現在は関西独立リーグ、06ブルズの監督を務める村田氏が80年代のチームについて回想する。 プロで通用するために
西本幸雄監督、
関口清治監督、
岡本伊三美監督、
仰木彬監督と、近鉄では4人の指揮官の下で野球をやらせてもらいました。79年、80年とパ・リーグを連覇。日本一にこそなれませんでしたが、プロとして初の歓喜を味わうことができました。パで唯一、優勝経験がなかった近鉄が、ようやく世間に認められたという感覚でしたね。プレーオフでは79年の第3戦に先発させてもらい(勝敗つかず)、80年はリリーフとして第3戦に登板して、胴上げ投手になることができました。この2試合はとても印象に残っています。
投手なら最多勝や最多奪三振、打者なら首位打者、本塁打王や打点王など。さまざまな個人タイトルがありますけど、「優勝」はそれらを上回る価値があると私は思っています。優勝がかかった試合で投げられたこと、優勝に貢献する投球ができたことは、今でも誇りです。
私が社会人の三菱自動車川崎から、ドラフト2位で近鉄に入団したのは75年のことでした。でも、3年たっても鳴かず飛ばずで、「もう限界かな」という思いがあったのは確かです。ただ、故郷・秋田の親父からは「プロでひと花咲かすまでは帰ってくるな」と言われていたので、何とかプロで通用するための方法を模索していました。その中で頭に浮かんだのが「サイドスロー転向」だったんです。
当時はきれいなフォームできれいな回転のボールを投げることを目指していましたが、それでも打たれるときは打たれる。ならば・・・
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