もはやドラゴンズと言えば、すっかり貧打線のイメージが定着している。実際にそうだから返す言葉もないが、かつては打線が売りのチームでもあったのだ。今こそ思い出そう。打って打って打ちまくっていた、あの日々、あの打線を……。 文=牧野正(中日担当) ※選手名は当時&敬称略。年齢は満年齢。監督の欄はチーム打撃成績で[]内数字はリーグ順位。率は打率、安は安打、本は本塁打、点は打点、得は得点 中日ファンは名古屋を中心に全国にどれだけいるのだろう。そして今はどれだけフラストレーションをためているのだろう。いや、今だけではない。ここ数年、ずっとつらいのだ。優勝どころかクライマックスシリーズもはるか遠く、中日ファンは泣いている。そしてこう思っているに違いない。
「昔はもっと打っとったがや……」
そうなのだ。かつての本拠地は古く狭く汚いナゴヤ球場ではあったが、打って打って打ちまくり、どのチームからも「強竜打線」と恐れられていたのだ。1点や2点のビハインドなどすぐに取り返し、逆転されてもまた逆転とスリリングな展開の連続だった。いつからこんなに打てなくなってしまったのだろう……。
というわけで今回は、染み付いてしまった「中日=貧打線」のイメージを払しょくすべく、かつて猛威を振るった懐かしの強竜打線を紹介しよう。中日ファンの中でも打ちまくっていたころを知らない
ヤング世代(死語)、そして何よりも当時を知る40~50代の熱血ドラキチに捧げる特別企画。これを読んで今の打てない勝てないフラストレーションを吹き飛ばせ! (さらにたまる可能性もあり)
<1974年>新助っ人マーチンを軸にいぶし銀そろう
70勝49敗11分(優勝) 【一番】(二)
高木守道 右右/33歳/率.276/126安/15本/47点
【二番】(中)
谷木恭平 左左/29歳/率.274/52安/2本/14点
【三番】(左)
井上弘昭 右右/30歳/率.290/126安/18本/58点
【四番】(右)マーチン・・・
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