
佐藤、石垣の強力二枚看板を主将で捕手の箱山が攻守で支え、健大高崎が初の日本一に輝いた[写真=毛受亮介]
2年生の二枚看板がけん引
2対3。1点ビハインドで9回表、報徳学園の攻撃を迎えた。過去の甲子園で数々の名勝負を演じてきた「逆転の報徳」。三塁アルプスはイニング冒頭から、チャンステーマ『アゲアゲホイホイ』でボルテージは最高潮である。健大高崎はこの回から、8回2失点の先発右腕・
石垣元気(2年)から左腕・
佐藤龍月(2年)にスイッチ。簡単に二死を奪うも、代打・貞岡拓磨(3年)が四球を選ぶと、場内は異様なムードに。ここで代走・西川成久(3年)が2球目に二盗を決めた。「(大角健二監督から)出たら(代走で)行くぞ、と言われていました。アウトになったら俺のせい。走ってこい、と。めちゃくちゃ、緊張しました。気持ちを見せられた」。一打同点の状況に持ち込むも、次打者の一番・橋本友樹(2年)は変化球を空振り三振。マウンド上で、健大高崎の歓喜の輪ができた。
健大高崎は2年連続7度目のセンバツ出場で、悲願の初優勝を遂げた。昨年は初戦(2回戦)で報徳学園に2対7で敗れており、雪辱する形に。群馬勢初の春制覇(夏は1999年に桐生第一、2013年に前橋育英が優勝)。02年4月の野球部創部から指導してきた青柳博文監督は試合後、感極まっていた。
「自分一人ではなくて、コーチのほか、いろいろな方の支援があったので、感謝しかないです。『高崎から甲子園』というスローガンでやってきたので、本当にうれしいです」
Vの原動力はバッテリーである。背番号1を着ける佐藤、10を着ける石垣の継投で5試合を勝ち上がった。佐藤は先発した山梨学院との準々決勝で左手中指のマメが破れ「状態的には良くない」(青柳監督)と・・・
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