人財開発の一環として西武が1、2年目の選手を対象に行っている獅考トレーニング。これがきっかけの一つとなり今年、一軍舞台をつかんだのが21歳左腕・菅井信也だ。獅考トレーニングによって、思考がどう変化したのか。その過程を追う。 取材・文=平尾類 写真=兼村竜介、桜井ひとし、BBM 
6月2日に支配下昇格した育成3年目の菅井[左。右は渡辺久信GM兼監督代行]
入団時に受けた強い衝撃
6月6日の
ヤクルト対西武(神宮)。プロ初登板初先発を飾った西武の高卒3年目左腕・菅井信也は2回までに4つの四球を出し、55球を費やしていた。制球が定まらず、大量失点を喫しても不思議ではない状況だったが、菅井は冷静だった。
「ボール球が多かったけど、焦りはなかったです。この登板の4日前に育成から支配下昇格して、(一軍でデビューの)登板日を伝えられたときからずっと緊張していたんですけど、マウンドに立ったら落ち着いて投げられました。気持ちをうまく整えられたかなと思います」
初回一死一、二塁のピンチを迎えたが、
村上宗隆をスライダーで左飛、
サンタナを内角いっぱいの直球で見逃し三振に打ち取った。2回に二死満塁から
丸山和郁に適時打を浴びたが最少失点で踏みとどまる。3回に
山田哲人に被弾も、5回まで投げ切り3安打4奪三振2失点。この結果をどう捉えるか聞くと、よどみない口調で語った。
「先頭打者の初球にボール球が多かったことが反省点です。変化球でカウントを取れるようにならないとピッチングの組み立てが苦しくなります。相手が直球待ちだったと思うのですが、ファウルや(凡打に)打ち取れたことが多かったのは良かったと思います。序盤で50球以上投げていたので体はきつかったですけど球速が落ちず、5回に村上選手と対戦していたときは148キロを計測していたので、出力は出ていたかなと感じます」

6月6日のヤクルト戦で一軍デビューを飾った菅井。5回2失点で負け投手になった
山形県南陽市で生まれ育ち、山本学園高(現惺山高)に進学。県内の強豪校・日大山形高も選択肢にあったが、プロ入りを目指すため志藤達哉監督の指導を受けたいと、山本学園高を選んだ。1年秋からエースナンバー『1』を背負い、183cmの長身からしなやかなフォームでキレの良い直球、スライダーを軸に三振の山を築く。甲子園出場は叶わなかったが、数球団のスカウトが視察に訪れた。2022年、西武に育成ドラフト3位で入団。「正直、育成でも入れると思わなかった」と振り返る。だが、喜びは一瞬だった。プロの投手のレベルの高さに衝撃を受けたという。
「西武は素晴らしい投手ばかり。二軍も勇太朗(
渡邉勇太朗)さん、浜屋(
浜屋将太)さんがすごい球を投げていて。当時肩をケガして投げられなかったこともあるんですけど、どうやって支配下に上がるんだろうと……。想像すらできませんでした」
強い衝撃を受けたのは先輩たちの投球だけではない。高卒同期入団のドラフト4位・
羽田慎之介、5位・
黒田将矢の投げる球にも驚かされた。
「新人合同自主トレでキャッチボールをしたとき、2人は『本当に高校生なのか?』と思うほどのやばい球を投げていました。2人に追いついて、いつか一軍の舞台で一緒に投げたいな、と」
一軍どころか、二軍のマウンドで投げることも遠く感じた。だが、2年半の月日を経て同期入団の高卒の投手の中で最も早く、一軍の先発登板を果たしたのは育成入団の菅井だった。ファームで安定した結果を残し・・・
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