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CLOSE UP 第106回全国高校野球選手権大会

荒木大輔(早実OB)が見た甲子園100年の変化「あこがれの『聖地』であり、高校生が心身とも成長する場であり続けることを願う」

 

阪神甲子園球場は8月1日、1924年の開場から100年を迎えた。夏の全国選手権大会は7日に開幕し、今夏も手に汗握る熱戦が続いた。1年夏から3年夏まで5季連続出場を遂げた早実の元エースが「聖地」を語る。

大会第11日の第4試合で荒木氏の母校・早実が3回戦で大社高[島根]と対戦。スタンドで熱戦を見入った[写真=BBM]


求められる柔軟な対応力


 夏の甲子園の空気を吸うと、背筋が伸びる。身が引き締まる。暑さを忘れさせる、高校球児の全力プレー、ひたむきさに心を奪われるからです。グラウンドの熱気だけではなく、アルプス席では大応援が展開。大会を円滑に運営している主催者、関係者、マンモススタンドを埋める大観衆を含め、試合に関わるすべての人たちの熱き思いが、甲子園の独特の雰囲気を作り出しているのだと思います。

 私も還暦を迎えました。黒土、緑の芝、青空。その風景は、私がマウンドに立っていた42年前と何一つ変わっていませんが、試合の運営方法は時代に合わせて、変化を見せています。私が投げていた時代とは大きく変わりました。18年から実施(延長13回から)されているタイブレークは23年から延長10回からの運用になり、1週間500球以内の球数制限も、定着した感があります。

 高校球児の健康を守るための暑さ対策。3回戦、準々決勝、準決勝翌日に計3日間の休養日が設けられ、昨年から5回終了時にクーリングタイム、そして今大会からは午前と夕方の二部制(大会3日目まで)が実施されました。こうした変化に柔軟に対応していくことが求められます。

胸が熱くなった伝統校対決


 さて、大会11日目(8月17日)の第4試合を観戦しました。私の出身校である早実(西東京)と、今大会、快進撃を遂げた大社高(島根)との3回戦です。

 大社高は1915年、前身の第1回中等学校優勝野球大会の地方大会から今夏まで「皆勤出場」している全国15校の一つ。早実は第1回大会の出場校であり、伝統校対決は白熱の一戦となりました。両校の勝利を目指す執念、気持ちと気持ちがぶつかり合う激闘に、胸が熱くなりました。

 印象に残ったのは大社高の左腕・馬庭優太投手(3年)です。1対1の7回表、味方中堅手の後逸により勝ち越しを許しましたが、引きずることなく、後続を抑えました。全員でミスをカバーし、9回裏にスクイズで同点。最後は11回裏、馬庭投手のサヨナラ打で決着がつきましたが、試合後、早実・和泉監督がコメントしていたように「魂」がにじみ出ていました。149球。エースとしてマウンドを守るという気迫が、体全体から感じました。その背番号1の背中が、チームに勇気を与えたのです。

大社高が早実との3回戦、延長11回の死闘を制して準々決勝進出。島根の公立勢では和田毅[ソフトバンク]を擁した1998年の浜田高以来だ[写真=宮原和也]


 一方、早実の「粘り」も、見ごたえ十分でした。西東京大会では初戦(3回戦)から苦しみましたが、公式戦を重ねるごとに、チーム力が上がってきた印象があります。甲子園でも相手に先制されても「耐える力」が身に付いた。その象徴が2年生エース・中村心大投手です。鶴岡東高との2回戦では延長10回、1対0で完封。大社高との3回戦でも、味方の守備のミスで失点して以降も我慢するスタイルが浸透し、地方大会とは別のチームになりました。9回裏。同点とされ、なおも一死二、三塁という絶体絶命のピンチで早実・和泉実監督が決断した「内野5人シフト」。「何が何でも、1点を防ぐ」という執念を見ました。11回裏に力尽きましたが、OBとしても後輩たちが頼もしく見え、誇らしいゲームでした。

 今夏は阪神甲子園球場が誕生して100年。今後もあこがれの「聖地」であり、高校生が心身とも成長する場であり続けることを願うばかりです。

PROFILE
あらき・だいすけ●1964年5月6日生まれ。東京都出身。右投右打。早実では1年夏の甲子園に出場し、準優勝の原動力となり「大ちゃんフィーバー」を巻き起こす。3年夏まで5季連続出場を果たし、通算12勝5敗。83年ドラフト1位でヤクルトに入団。96年に横浜に移籍し、現役引退。NPB通算180試合、39勝49敗2S、防御率4.80。西武、ヤクルトのほか、21年まで4シーズン日本ハムでの二軍監督、コーチを歴任し、現在は野球解説者。24年5月22日に城西国際大のコーチ就任。
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