西武、巨人、オリックスで通算525本塁打の清原和博氏を父に持つ。長男の兄・正吾と入れ替わる形で、次男が慶大に入部した。1年間のブランクを埋め、神宮デビューを目指す。 取材・文=上原伸一 写真=菊田義久 
一発長打を秘め、パンチ力は父親譲り。1年間のブランクはあったが、体全体を鍛え上げる時間になった
複雑な感情を持った一発
昨秋に1度、幕が下ろされた「慶大・清原物語」。その第2幕が始まった。2月1日、慶大野球部員として初の練習を終えた
清原勝児は引き締まった表情でこう話した。
「1つの節目の日となりました。今日よりも明日、明日より明後日と(少しずつ成長できるように)これからの日々を積み重ねていきたいです」
清原は西武、巨人、オリックスでNPB通算525本塁打を記録した清原和博氏を父に持つ。和博氏の次男である勝児は、野球を始めたときから、慶應義塾高時代を通じて「清原和博の息子」と注目を浴びた。「清原の名」で野球をする宿命がある。
父は1年夏から3年夏まで5季連続で甲子園に出場したPL学園高時代は、歴代最多の通算13本塁打。2度の夏の全国制覇を経験した。昭和の記憶は、高校野球ファンに深く刻まれている。息子の清原が2年春(23年)のセンバツ初戦(2回戦、対仙台育英高)で、五番・三塁で出場した際には「清原」の登場に、マンモススタンドは盛り上がりを見せた。
主に代打で107年ぶり2度目の全国制覇に貢献した同夏も、場内アナウンスで「清原」が
コールされると、割れんばかりの歓声が巻き起こった。清原は自分の父親が、甲子園から愛されていると感じただろう。
3歳年上の兄は、昨秋まで慶大野球部に在籍していた清原正吾。「慶大・清原物語」の第1幕の主人公である兄も、慶大入学以来、視線を浴び続けた。ただ兄の場合、もう1つ注目される要素があった。中学、高校と野球から離れていたことだ。中学ではバレーボール部、高校ではアメリカンフットボール部だった。6年のブランクを経て慶大野球部の門をたたいたが、その成長速度はすさまじかった。2年秋に神宮デビューすると、3年春に先発出場。4年時は慶大の四番を張った。慶大・堀井哲也監督が言う「奇跡の選手」は、4年春は一塁手部門でベストナインを初受賞。同秋は・・・
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