都市対抗本戦に10年連続で出場した選手に対して、1回戦の試合前に表彰式が行われる。毎年、厳しい予選があるため、自チームで続けて出場するのは難しく、多くの選手は「補強選手」を挟んでいるケースが多い。今年もベテランが栄えある賞を受けた。(一部文中敬称略) 取材・文=佐々木亨 
Hondaの正捕手・辻野[右]と、NTT東日本からの補強選手・下川が、JFE東日本との1回戦を前にして10年連続出場の表彰を受けた[写真=小河原友信]
鮮明に残る記憶
歩んできた時間が長いだけに、勝つ喜びを何度も味わってきた。その裏には、負ける悔しさもあった。NTT東日本の下川知弥(駒大)は、負けた「あの日」を今でも忘れない。
「あのゲームがあって、僕の社会人野球が始まった。今でも印象に残るのは、入社1年目の都市対抗東京都二次予選。第4代表決定戦でセガサミーに負けた試合です」
2015年6月8日。第86回都市対抗野球大会の東京都代表決定戦だ。セガサミーと相対したNTT東日本は、8回表に下川の中前適時打で同点に追いつく。だが、延長12回の末に敗れて予選敗退となった。
「その試合がなかったら、今の自分はないと思っています。あの日の悔しさが、今の活力になっている」
遠くとも鮮明に残る記憶を手繰り寄せながら、社会人野球における「原点」だとも下川は言うのだ。
初めて東京ドームでプレーしたのは2年目。翌17年の第88回大会では、主力選手として都市対抗制覇を成し遂げた。そして11年目の今年、下川は都市対抗における10年連続出場の表彰を受けた。
「若いころはベテランに東京ドームに連れてきてもらって、後半は若い選手に連れてきてもらって……周りの人に恵まれた10年だったと思う」
今年は第94回大会(23年)以来の補強選手として東京ドームに立った。Hondaのユニフォームに袖を通して1回戦で敗退したが、下川は感謝の言葉を口にする。
「多幡雄一監督(立大)をはじめ、Hondaの方々に感謝したい」
JFE東日本との1回戦では、7回表の三塁の守りから出場。8回裏の打席は二ゴロだった。1点差に迫った9回裏、なおも二死一、二塁と攻める中で、下川はネクストバッターズサークルにいた。勝利だけを信じて、同じ10年連続表彰の
辻野雄大(白鴎大)が打席に立つ姿を見つめた。「最後まであきらめない」。たとえ補強選手でも、むしろ、その立場だからこそ、チームのために力を注ぐ。今夏も、変わらない野球人としての姿勢を貫いた。「いつまでも、野球は好きなので……。また若手と一緒に頑張っていきます」。33歳のベテランは、野球への愛も口にしながら東京ドームをあとにした。

下川が三塁守備から入り、最初の打席では二ゴロだった[写真=小河原友信]
勝負師の顔
JFE東日本との1回戦で、見逃し三振に倒れて最後の打者となったHondaの辻野は悔しさをにじませる。
「最後は、みんながつないでくれたチャンスだったので、何とかしたかったんですが……。自分もつなごうと思って打席に立ったんですけど、後悔が残るような感じになりました」
バッテリーが粘り切れなかった。そう言って、辻野は捕手としてのプライドものぞかせる。
社会人野球のキャリアは、今年でちょうど10年目。16年のルーキーイヤーから出場機会を得て、3年目にはベストナインと年間の首位打者に輝くなど「打てる捕手」として一線で戦ってきた。社会人日本代表キャリアも複数回で、20年の第91回大会では正捕手として都市対抗優勝も経験してきた。華やかな実績に目を奪われがちだが、これまでの歩みは「一人の力」だけではなかったことを辻野はよく知っている。都市対抗の10年連続出場にしても同じだ。
「僕一人の力では無理だった。周りの方のおかげで続けて来られた10年。感謝を胸に、今までお世話になった方々への感謝の気持ちを持って、今年の東京ドームは迎えました」

辻野は六番・捕手でフル出場[写真=小河原友信]
その思いは、これからの野球人生でも不変だ。無論、野球を続ける力になっている「勝利」への思いも絶やすことはない。「自分自身の野球人生はこれからどうなるのか分かりませんが、しっかりと勝ち切れるように頑張らないといけないですね」。
敗れて一層、勝負師の顔になる。今夏の東京ドームでは、まだまだ先の野球を見つめる辻野の姿があった。
コーチ兼任でけん引
JFE西日本との1回戦敗退直後に悔恨の念を表情に浮かべたのは、Honda鈴鹿・
畔上翔(法大)も同じだった。
「悔しい、その一言ですね……準備はしてきたんですけど、結果が出なかった。ただ、悔しい」
畔上は東京ドームの通路で一瞬、天井を見上げて思いが詰まった言葉を並べた。都市対抗の10年連続出場を果たした夏。畔上は感謝を胸に東京ドームに立った。
「いろいろな方に感謝してグラウンドに立った。そこは、自分の中でやれたなという思いはあります」
自チームのユニフォームで表彰されたことはうれしく「チームメートに感謝したい」とも語るのだ。16年の入社以来、5年連続で本大会に出場した。だが、6年目の第92回大会は予選敗退を喫して日本製鉄東海REXの補強選手となった。8年目は三菱自動車岡崎、9年目は東海理化と、自チームのユニフォームを着ることなく東京ドームに立った。畔上はそれぞれの派遣先でリーダーシップを発揮し、若手の手本として動いた。「自チームと補強、それぞれにプレッシャーはある」。

Honda鈴鹿・畔上は日大三高、法大を通じて主将を務め、リーダーシップに定評がある[写真=小河原友信]
10年のキャリアにおける野球人生は、まさに浮き沈みの連続だった。ただ、変わることのない思いがあった。「野球がうまくなりたくて、ここまでやってきた」。そんな畔上を、Honda鈴鹿・眞鍋健太郎監督(駒大)はこう評する。
「今年からコーチ兼任になって若手を指導する役割、そういう立場になっても誰よりも野球に対して真摯(しんし)に向き合い、人一倍、練習をするんです。実績だけではなく、その背中を見せ続けてくれている」
コーチ兼任を打診した際、畔上に対して眞鍋監督ははっきりと言ったのだという。引退に向かうコーチではない、と。自分自身を「引き上げるものにしていこうよ」と語りかけた。畔上が活躍した上で「10年連続で(東京ドームに)行こうよ」と背中も押した。春先のJABA大会から活躍した10年目選手は、都市対抗の東海二次予選でも打率5割を残して本大会出場の原動力となった。眞鍋監督は「私の立場でも、畔上は尊敬できる選手」と心の底から言う。

JFE東日本との1回戦は三番・DHで出場し、第4打席で左前打[写真=小河原友信]
社会人野球での10年目を迎えてもなお、畔上はチームの顔である。今後の野球人生については「自分自身で決められることではないんでね……」と笑いながらも「いろいろと頑張ります」。34歳の畔上はそう言って、味わい深く目元を緩めるのだ。