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<週刊ベースボール4000号 記念トークイベント開催!!>松坂大輔×和田毅 奇跡の「松坂世代」

 

週刊ベースボールは立大・長嶋茂雄氏が巨人に入団した1958年に創刊。10月22日発売号で通算4000号を迎えた。節目を記念したプロ野球レジェンドによる「週刊ベースボール4000号記念トークイベント」の第4弾が、11月17日に東京都内で行われた。テーマは「松坂世代」。エピソード満載の約90分だった。
取材・文=上原伸一 写真=高原由佳

松坂氏と和田氏のトークイベントスペシャルカードの特大パネル前で写真撮影した


フォーム参考で144キロ


 誰が名付けたか「松坂世代」。今回のトークショーには松坂世代(1980年4月から81年3月生まれ)を代表する2人が登壇した。1人は自分の名が冠された世代の先頭を走り続けてきた松坂大輔氏だ。横浜高時代から「平成の怪物」と呼ばれた松坂氏は甲子園で数々の記録を樹立し、プロ入り後はNPBとMLBで活躍。日米通算170勝をマークするとともに、WBCなど大舞台でも記憶に刻まれる投球を見せた。そして、もう1人が和田毅氏だ。浜田高時代は左腕エースとして2年連続で夏の甲子園に出場。早大に進むと、江川卓氏(法大、元巨人)が持っていた東京六大学リーグの通算最多奪三振記録を大きく塗り替えた(通算476奪三振)。ダイエー(現在のソフトバンク)入団後はコンスタントに勝ち星を積み上げ、日米通算で165勝をマーク。「松坂世代」ではNPBで一番長く現役を続けた選手でもある。

 トークテーマの1番目は広く呼び名が浸透した「松坂世代」について。「松坂世代とは」〜個性豊かな仲間たちとの関係〜であった。「松坂世代」でプロ入りした選手は93人いるが、松坂氏がプロで最初に意識した同世代は阪神藤川球児(現阪神監督)。「球児は高知高2年夏に甲子園に出場して、2年生投手では唯一、高校日本代表に選ばれていましたからね」(松坂氏は神奈川大会準決勝で敗退)。また高校時代は古木克明氏(豊田大谷高、元横浜ほか)と新垣渚氏(沖縄水産高、元ダイエーほか)を意識していたという。「高校2年のときから名が知られていた古木は対戦したいバッターでしたし、2年秋の神宮大会決勝で投げ合った渚とはストレートの球速を競っていたところもあったので(新垣氏は98年夏の甲子園で、松坂氏に先んじる形で当時甲子園最速の151キロをマーク)」。

 一方、和田氏は早大入学後も「自分が『松坂世代』という認識はなかった」という。「最速も130キロ台前半くらいでしたし、大学で教員免許を取って先生になるつもりでした」。和田氏に転機が訪れたのは、大学1年夏だ。「わずか数カ月で最速が144キロにアップしたんです」。きっかけは松坂氏のフォーム写真だった。

「大輔のような速球を投げるにはどうすればいいかと、写真を左投げに反転させながらじっくり見ていたら、グラブを持つ腕の使い方が上手で。それまで着目していなかった利き腕ではない腕を見直したんです」

 和田氏は2年春に5勝をマークし、大学を代表する投手に成長していった。その途中ではうれしいことも。「何かの記事で『松坂世代の和田が好投』と書いてもらったんです。ようやく松坂世代の一員になれた、と」。

 和田氏が逆指名でダイエーに入団すると「松坂世代」の投手が2人いた。鹿児島実高から社会人(三菱重工長崎)経由で入団した杉内俊哉(現巨人コーチ)と和田氏同様に大卒(九州共立大)で入った新垣氏だ。

「同じ左腕の杉内に対する意識はありましたが、2人との仲はよかったです。3人とも寮で生活していたころはよくそろって食事をしましたし。ただ渚が04年に最多奪三振、杉内が翌年、最多勝などのタイトルを獲ったのに対し、僕の初タイトルは10年。2人に後れをとっていたので、ようやくという安ど感がありました」

列を作って順番待ち


 松坂氏と和田氏が初めて接点を持ったのは3年夏(98年)の甲子園、開会式後だ。和田氏はこう回顧する。「面識はなかったんですが、開会式が終わってから大輔に頼んでツーショット写真を撮らせてもらったんです。その年のセンバツで優勝投手の大輔は甲子園球児にとってもスターでしたから」。

 片や松坂氏は「毅のことは高校野球雑誌で知っていたけど、そのときのことは覚えていない」。和田氏は「大輔と写真を撮りたい選手はすごくたくさんいて、列を作って順番待ちをしていましたからね」と笑う。

 松坂氏は伝説の投手になった。ドラマの始まりはPL学園高との準々決勝。この試合まで3試合連続完封だった松坂氏は延長17回を1人で投げ抜いたのだ。7回から17回まで松坂氏と投げ合ったのが、PL学園高のエースだった司会の上重聡氏(元日本テレビアナウンサー)。「松坂世代」の1人でもある上重氏が「延長に入ってからスピードが上がってきた」と当時の驚きを伝えると、松坂氏は「実は……」と切り出し、さらなる驚きのエピソードを披露した。

「その日は第1試合だったんですが、なかなか寝付けず2時間くらいしか寝てなかった。ようやく試合後半の7回くらいになって体がほぐれ、調子が出てきたんです」(松坂氏は7回までは5失点。以降は2失点だった)

 明徳義塾高との準決勝もドラマの主演は松坂氏だった。試合は8回表を終えて0対6と絶望的な状況。渡辺元智監督からは「9回はファンのために顔見せ登板をしてこい」と言われたという。前日のPL学園高戦で250球を投げた松坂氏はこの日、レフトで出場していた。だがブルペンに向かった松坂氏はあきらめていなかった。すると8回裏に横浜が4点を返して反撃ムードに。ここで松坂氏は自作自演をやってのける。右腕に巻かれていたテーピングを、あえてテレビカメラが追っているブルペンではがしたのだ。「ベンチで、とお達しはあったんですが、ブルペンではがしてからマウンドに上がれば、球場全体が盛り上がるし、勝利への機運も高まると思ったんです」。描いたシナリオどおり、甲子園には大歓声が響き渡り、松坂氏が9回表を無失点で抑えると、横浜がその裏3点を入れて逆転サヨナラ勝ちした。松坂劇場の締めは、59年ぶり2人目となる甲子園決勝でのノーヒットノーランだ。後に松坂氏は野球漫画の巨匠・水島新司氏から友人を通じて伝えられた。「98年夏の甲子園大会は漫画を超えていた」と。

約1時間30分にわたり展開された松坂氏[中央]と和田氏[右]によるトークを、同級生の上重聡氏[左]が司会役として秘話を引き出した


負けた後にメール送信


 テーマ2は「二人の関係性」〜ライバルかつ親友の関係性を深掘りする〜だった。プライベートも共にする親友同士はプロで計7回投げ合っている。初対決は和田氏がプロ2年目の2004年4月16日(西武ドーム)。この試合、松坂氏も和田氏も完投したが、軍配は松坂氏に。スコアは1対0だった。「よく覚えています。小関竜也さん(当時の登録名は竜弥。現西武ファーム監督)に打たれました」(和田氏)。通算成績も4勝の松坂氏が2勝の和田氏を上回った。和田氏には忘れられない投げ合いがある。

「初めて大輔に投げ勝った05年4月22日(インボイス)です。前年はまったく勝てず、この年の序盤はほかの西武戦でもミッションだった左打者封じができずに、結果を出せていませんでした。それで首脳陣からはこの試合もダメだったら対西武のローテを外すと言われていたんです。僕にとっては背水の陣でもありました。ここに向けてしっかり準備し、なんとか勝てたら試合後すぐに大輔からメールが届いていまして。『おめでとう。でも次は負けないからな』と。負けてすぐにそう伝えられる大輔の人間性の高さと、松坂という投手のすごさを感じました」

 あらためて「松坂世代」とは? 松坂氏はこう語った。

「僕が目標になった世代と言ってもらえるのはありがたいのですが、僕自身も、同級生たちからすごく刺激をもらいました。そういう同級生が全国各地にいて、ほかの選手からすると倒さなければならないライバルとなり、切磋琢磨しているなかで全体のレベルが上がった。それが『松坂世代』ではないでしょうか」

 いつか松坂氏と和田氏には次の「世代」を育てる時がやって来るだろう。松坂氏は「監督は望んでできるポジションではない」としながらも「そういう話が来たときに自信を持って受けられるようにしっかり勉強をしておきたい」と、和田氏は「昨年現役を終えたばかりですが、野球界に恩返しをしたいという気持ちはもちろんあります」と意欲を見せた。

「松坂世代」では楽天の監督を務めた平石洋介氏、監督1年目でリーグ優勝に導いた阪神・藤川監督、来年からDeNA二軍監督になる村田修一氏らが手腕を発揮。松坂氏と和田氏が再びユニフォームを着る日を、ファンは心待ちにしている。

<好評発売中!!>記念トークイベント第5弾「語り継ぐ“ミスター”とV9」


【日時】2025年12月10日(水)
    12時開場予定 13時開演(14時30分・終演予定)
【会場】日本橋公会堂
【ゲスト】末次利光高田繁堀内恒夫
【MC】村山喜彦(日本テレビアナウンサー)
◆会場チケット 料金:6,000円(別途手数料がかかります)
◆配信チケット 料金:1,500円(別途手数料がかかります)
【視聴期日】 当日〜2025年12月10日(水)23:59まで
【購入期日】 2025年12月10日(水)21:00まで
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