今年でプロ25年目を迎えたヤクルトの石川雅規。今年で46歳となったが、常に進化を追い求める姿勢は変わらない。昨季まで積み上げた白星は188。200勝も大きなモチベーションだったが、“小さな大エース”にもついに歩みを止める時が……。ヤクルトを愛するノンフィクションライターの長谷川晶一氏が背番号19に密着する。 8月27日、「ラストチャンス」を振り返る

今季初の一軍登板となった巨人戦、懸命に腕を振ったが……
8月27日、神宮球場――。プロ25年目を迎えた石川雅規にとって、そのマウンドは文字通り「ラストチャンス」となる大舞台だった。ファームで万全の調整を重ね、一軍昇格の根拠となる実績を積み上げてきたわけではない。突然めぐってきた一軍マウンド。どんな経緯でこの機会が訪れたのかを石川は知らない。そこにどんな意味が込められていたのかはわからない。それでも自分にできることは、与えられたチャンスを必死につかむこと。そんな思いで臨んだ一戦だった。
「あの日のマウンドは、ようやくチャンスをいただいて、勝ったら来年につながるだろうし、“もしも勝てなかったら……”という一戦でした。いいピッチングをしたらチャンスはまたあるかもしれないけど、残り試合を考えると、この試合が本当にラストチャンス。まさにチャンスであり、ピンチであり、僕にとっての一発勝負という試合でした」
しかし、マウンド上で待っていたのは残酷な現実だった。ジャイアンツ打線は容赦なく石川に襲いかかる。先頭の
浦田俊輔にヒットを許すと、続く
佐々木俊輔がタイムリーツーベースを放つなど、あっという間に4連打を浴びて4点を失った。そして迎えた五番・
大城卓三への初球は力のないすっぽ抜けた一投となった。
「もちろん気持ちの高ぶりもあったし、緊張もあったからなのかもしれないけど、正直、あんまり覚えてないです。ただ、大城選手にデッドボールを当てたときに肩が抜けた感じがして、“ヤバい”って思いました。本当に腕が吹っ飛んでいきそうな感じで、左腕がめっちゃむくんで、ボールが2倍くらいでかく感じてきて。正直、あれで限界でしたね……」
常々、「いっそのこと肩やひじがぶっ飛んで投げられなくなれば諦めがつく」と、石川は言い続けてきた。しかし、実際に「その瞬間」が訪れたとき、自分でも予想もしていない偽らざる本音が胸を衝いた。
「以前から、“諦めがつく”って言っていたじゃないですか。でも、実際にその瞬間が訪れてみると、“諦めなんてつかないものなんだな”と知りました。もっと投げたかった。本当にもっと投げたかった。チームのCS進出がかかっている大事な試合であんなピッチングをしたのがマジで悔しいです。それがいちばんの思いです」
無念の降板の後、クラブハウスでチームの敗戦を見届け、「力になれずにすみませんでした」と監督やコーチに謝罪を伝えて家路についた。このときにはすでに覚悟を決めていた。
「肩の状態がよくないままクラブハウスに戻ったときには自然に涙が出ました。そして、試合が終わって、監督やコーチたちにあいさつをしました。そのときにはもう決めていました……」
何を「決めていた」のか? 言うまでもなく自らの去就である。降板後すでに、ユニフォームを脱ぐことを決めていた。しかし、この時点では誰にもその思いは伝えなかった。まずは帰宅後、「いちばん近くで支えてくれた家族に伝えたかったから」である。
自分で自分を納得させるための引退会見

引退会見では晴れ晴れとした表情を見せた
9月2日、引退発表の記者会見。報道陣の前に姿を現した石川の表情は、どこか晴れやかで清々しいものだった。人生で初めて経験する「自身の引退会見」という特別な空間を、本人はどのように噛みしめていたのか。
「何事も初めてだったので、じっくりと噛みしめていましたよ。“こういう感じなのか、こんな光景なのか”と思いながら。自分が思い描いていたのと似ているところもあれば、違うところもあったりして面白かったですね。結局、実感があるようでないような感覚でした。だって、引退試合もまだですし、“まぁ、明日も朝から戸田に行くんだろうな”みたいな、そんな感じでしたね」
決して涙を流して湿っぽくなることは望まなかった。なぜなら、「本当に楽しかったという気持ちを伝えたかった」からである。しかし、その笑顔の裏には、自らの心を納得させるための儀式という意味合いもあった。
「あの日の会見では、“本当に楽しかった”という気持ちを伝えたかったのは事実です。ただ、その裏には“自分は本当にやり切ったんだ”と、自分自身に思い込ませたいという思いもあったと思います。“自分はもうやり切ったんだ、悔いがないんだ”と、自分で自分を納得させるための会見でもあったのかなと思います」
涙は見せなかった。終始、淡々と冷静に受け答えをして、ときには白い歯もこぼした。とはいえ、会見中には仲間の存在が胸を熱くさせた瞬間もあった。特に
小川泰弘が涙を見せたシーンには、こみ上げるものがあったという。
「ライアン(小川)のときはヤバかったです。“もうマジやめてくれ、泣いちゃうよ”って(笑)。彼は僕のことを、“いつも味方でいてくれて、道を照らしてくれて……”って言ってくれたけど、ライアンこそ、いつも僕の味方になってくれたし、一緒になってみんなで照らしてきました。そんなことを考えていたらグッときましたよね、やっぱり」
会見を終え、ホッとした安堵感と、まだ心の底から消えない「もっと投げたい」という未練の狭間で、石川は少しだけはにかむように笑った。
「ゆくゆくは指導者としてスワローズに戻ってきたい」
引退会見を終えた今も、再びグラウンドに立つ日々が続いている。名古屋遠征ではビジターでの最後のあいさつとして、チームメイトに背中を押されながらレフトスタンドのファンの下へ向かった。引退へのカウントダウンが確実に進む中、現在の偽らざる心境には、まだ割り切れない複雑な思いが同居している。
「やりきった思いと、ときとして寂しくなる思いの両方があります。本当に引退を実感するのは引退試合が終わってからじゃないですかね。だって、つい1カ月前までは一軍マウンドを目指して本気で投げていましたから。あの巨人戦まではプロの野球選手として投げていたのに、1カ月も経たないうちにこうなるとは思わなかったですから……」
25年間、泥臭く、そして誰よりも真摯に野球と向き合い続けてきた。特に忘れられないシーズンがある。チームが年間96敗を喫した2017年、苦しみながらも先発マウンドを守り抜いた。この年は4勝14敗と大きく負け越したものの、シーズンを通じてローテーションを死守した。この経験は、自身のプロ人生を語る上で欠かせない大きな誇りだ。
「あのとき逃げていたら、多分もっと早く引退していたはずです。あそこから逃げたら、その後も全部から逃げることになっていたはず。そうしたことも含めて、すべてが自分で選んだ道なので、この25年間に後悔はないです」
通算200勝という大きな目標にはわずかに届かなかった。しかし、数字以上に「1勝の重み」と向き合い続けた日々に微塵の悔いもない。こうして迎える引退試合は、ファンや家族への感謝を伝えるための「最後の大切な仕事」だと位置づけている。
「引退試合の想像がまだつかないんですけど、僕はファンのみなさんと、お世話になった方々、家族を含めた大事な人たちに感謝を伝える場だと思っています。最後に僕のプレーを見ていただく、それが最後のお仕事だと思っています」
最後に、長年応援してくれたファンと、これからのスワローズへ向けた思いを、石川は熱っぽく語った。
「石川雅規を本当に愛してくださってありがとうございます。まず伝えたいのは、この思いです。僕はスワローズというチームの雰囲気だったり、ファンのみなさんとの一体感だったり、そうしたものすべてが大好きです。もちろんこれからもスワローズを応援していきたいので、まずは神宮球場のスタンドでビールでも飲みながら応援したいです。そして、ゆくゆくはスワローズへの恩返しとして、また指導者としてグラウンドに戻ってこられるように勉強していくつもりです」
引退試合は10月3日の
中日ドラゴンズ戦と決まった。現役最後の一球を投げ終え、ユニフォームを脱いだその先にどんな風景が待っているのか。自分でもまだ想像がつかない。どんなときも前を向き、自分の信じた道を駆け抜けた「小さな大投手」の物語は、いよいよクライマックスへと向かう。最後の雄姿、ぜひともしっかりと見届けたい――。
(第四十八回に続く)
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