黒田がヤンキー・スタジアムのマウンドに立つのは“夢以上の夢”の実現だ 黒田がヤンキースに決まりましたねえ。これはね、日本のプロ野球の歴史において特筆大書すべき出来事ですよ、マジに。これまでヤンキースでプレーした日本人選手は、伊良部も松井も井川も、日本での成績から「やってくれるだろう」の“見込み”で入団させた選手ばかりです(井川なんか、それこそ“見込み違い”でした)。 しかし、黒田はメジャーで実績をあげて、ヤンキースに「絶対欲しい」と求められて入団したケース。これは先の3者とは根本的に違います。ヤンキー・スタジアムの真っサラなマウンドをエース級の期待を受けて年に10回以上踏む日本人がついに登場したか──。これはオレなんかの世代には、夢そのもの、いや夢以上のものです。良かったなあ。
一方で悲しい知らせもありました。昔、
巨人で新人王となった
堀本律雄さんが亡くなったのです。彼はオレと同じ1935年の早生まれですから、気になる人でした。新人王となった60年は29勝(18敗)というものすごい数字を残しましたが、訃報で、あの年は364回2/3も投げたのを知りました。これがオレにはズ~ンと響きました。あの前後は、いわゆる“エース残酷物語”のピークでした。翌61年に西鉄の
稲尾和久がプロ野球最多タイの42勝。セ・リーグでは
中日のルーキーの
権藤博投手(現中日コーチ)が実に429回1/3も投げて35勝(19敗)。まあ、何という時代だったのでしょうかねえ。
野球は基本的にバッターのスポーツなのですが・・・
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