代打に代走、内外野の守備固め——。あらゆる準備をして、出番を待つ。チームになくてはならない存在だった。華々しいスター街道こそ歩めなかったが、名脇役として輝いた14年間だった。 取材・構成=小林篤 写真=高塩隆、BBM 恐怖心との戦い
一度も一軍昇格がないまま迎えた9月22日、現役引退を表明した。ヤクルト一筋14年、チームに欠かせぬ『何でも屋』として打って走って守った。引退試合となった30日のDeNA戦(神宮)も途中出場。その姿は、若き日に思い描いた未来とは違ったが、チームの勝利のために、託された役割を全力で果たしてきた。 ――引退試合からしばらくたちましたが、心境の変化はありますか。
荒木 野球がない生活になったので、気持ちの面ではすごく楽になりました。今までは、毎日24時間、野球のことを考えていたので。ただ、テレビで野球を観ていると、もうやらなくていいんだという気持ちと、うらやましい気持ちが半々ですね。
――引退試合は無安打でしたが、途中出場から2打席に立ちました。
荒木 1打席のみかなと思っていたのですが、9回にも機会をいただいて。最後に神宮球場でたくさんの方に見ていただけたので、高津(
高津臣吾)監督には本当に感謝しています。
――最終打席は、いい当たりでしたが外野手の正面(左飛)でした。
荒木 完全にとらえていましたが、やめるべくしてやめたのかなと。実力や運があるなら、ヒットにもなっているでしょうし、まだまだ現役でやれていたんだろうなと。

通算1215打席目となった最終打席は左飛に打ち取られたが、ベンチに戻る後ろ姿にスタンドから大きな拍手が送られた
――プロ生活は、球団新人では1970年以来となる開幕スタメン(七番・遊撃)からのスタートでした。プロの世界に入って戸惑いなどはありましたか。
荒木 最初は必死で、右も左も分からないまま毎日を過ごしていたのですが、シーズンが進むにつれ恐怖心が出てきたのを覚えています。
――アマチュア時代には感じなかったものですか。
荒木 そうですね。プロの世界は自分よりうまい人ばかりの世界でしたし、試合数も違えば、観客の数も違います。ワンプレーに対する緊張感がこれまでの比ではありませんでした。また、自分のミス一つでチーム、投手の選手生命にも影響が出てしまう。「ミスをしてはいけない」という恐怖心が出てきました。
――その恐怖心は、いつ克服できたのでしょうか。
荒木 それは引退試合の最後まで、ずっと付きまとっていましたね。
――では、14年間、恐怖心とはどう付き合ってきたのでしょうか。
荒木 それはもう練習ですよね。練習で不安材料を一つひとつ削っていくと言いますか。それしかないと思ってこれまでやってきました。
――では、現役生活でいい意味で思い出に残るものはなんでしょうか。
荒木 やはり優勝したときじゃないですかね。ビールかけは本当に頑張ってきてよかったなと思える時間でした。優勝しないままやめていく人も
大勢いる中で・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン