ソフトバンク、ロッテ、くふうハヤテでプレーし、今年限りで計18年間の現役生活に終止符を打った。名バイプレーヤーとしてソフトバンクの黄金時代を支え、3球団を渡り歩いた経験は大きな糧になる。度重なる故障に悩まされ、満身創痍で戦い続けたプロ野球人生を振り返った。 取材・構成=平尾類 写真=BBM リハビリから始まる「第2の野球人生」
今季限りでの現役引退を決断したのは5月ごろだったという。昨年限りでロッテから戦力外通告を受け、新天地に選んだのは二軍に新しく参加したくふうハヤテだった。しかし、新たな挑戦も満身創痍の体では万全の力を発揮できなかった。 ――9月28日の引退試合から2カ月以上がたちましたね。
福田 少し寂しさはありますけど、やりきったのでお腹いっぱいですね。現役のときにたくさんケガをしてリハビリをしたんですけど、引退試合の数日後に右肩を手術しました。リハビリから「第2の人生」が始まるのも僕らしいかなと思います(笑)。
――引退後に手術をされたんですね。
福田 そうです。手術名は「右肩関節鏡視下滑膜切除術」で、変形している滑膜や腱板の組織を取り除きました。右手で左肩を何年も触れられない状態なんです。病院の先生には「腕を組めるようにしよう」と言われて、週に2、3回リハビリをやっています。
――ロッテにFA移籍1年目の2020年に死球で右肩甲骨を骨折したことが原因でしょうか。
福田 起因はそこですね。全治3カ月と言われて、1カ月後ぐらいに復帰したんですけど、右肩に力が入らない状態が続いて。あそこで休んでリハビリをして機能を戻せば問題なかったんですが、無理をして続けたので右肩の関節内に痛みが出てしまった。ただの骨折だと思った自分の認識の甘さです。
――患部の状態がなかなか良くならず、22年のオフに右肩の手術を受けました。
福田 右肩が痛くて後ろに引けないのでバットを担いで体をひねって打っていました。キャッチボールの距離も30、40メートルしか投げられなくなって。FAで獲得してもらったのにふがいないし、情けなかった。ファンの皆さんに温かい声援を送っていただきましたが、戦力になれず本当に申し訳なかったです。
――ロッテを昨オフに退団後、現役続行を決断してくふうハヤテに入団しました。
福田 ロッテで最後の年にダメだったら引退しようと決めていました。ただ、夏場ぐらいから投げる距離が60~70メートルに伸びて、200、300球打っても大丈夫だったので、もう少し頑張りたいなと。でも、やっぱり限界でした。痛み止めの注射を合計で100本以上打ってきましたが効かなくなり、注射を打つと骨の変形が加速してしまいました。病院の先生に引退を報告したら、「肩の機能が70歳のおばあちゃんと同じぐらいで野球どころじゃなかった。ゆっくり休んでください」と言われました。
――右肩が野球をできる状態でなかったんですね。
福田 限界でした・・・
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