中学2年のときにファイターズが北海道へやってきた。その地元の球団にドラフトで指名されるという極上の縁。不断の努力でブルペンの中に確かな居場所を見つけ、日本一の喜びを知り、リリーバーとしてのあり方を確立してきた12年間。次のステージでも、変わらぬ思いを胸にファイターズに尽くしていく。 取材・構成=杉浦多夢 写真=高原由佳、BBM 日本一の喜びとプロの世界の難しさ
同期のドライチがスーパースターへと飛躍を遂げる中、自らも1年目から一軍の戦力として38試合に登板するなど、順調な船出を切った。4年目の2016年にはブルペンの一角として日本一に貢献。かつて味わったことのない歓喜に酔いしれた。 ――セレモニーから時間がたちましたが、オフシーズンになって引退を実感する瞬間はありますか。
鍵谷 引退セレモニーをさせていただいて、そこでひとつ区切りはしっかりついていたので、「うわ、引退したな」という感じはないですね。家族と過ごす時間も増えましたし、いろいろなことに気を使わなくてよくはなりました。選手としての緊張感というか。お風呂で湯舟につかるときに、今までは指をふやかさないようにお湯から(手を)上げていたんですけど、何も気にせずにお湯につかれるというのが一番の小さな幸せですね(笑)。妻も僕が朝起きて「どこが痛い」とか、ちょっとぶつけたときにケガをしていないかとか、あんまり気を使わなくてよくなったと言っていました。
――年が明けて、春季キャンプやシーズンが開幕すると違った寂しさが出てくるのでしょうか。
鍵谷 いや、次に向けてやるべきことに集中していると思います。ファイターズにスタッフとして残ることが決まっているので、将来のことも考えながらそこに向かって進んでいく。そうでなければ現役を引退した意味もないですから。
――2012年秋のドラフトでファイターズに3位指名されました。地元の球団に指名された喜びは、また違ったものがあったのでは。
鍵谷 家族や友達がいる地元の北海道のチーム、応援していた親近感のあるチームというので格別うれしかったですね。そもそも地元にプロ野球の球団があるっていうだけで恵まれていました。中学2年生のときにファイターズが移転してきて。それまで函館や札幌の円山球場でプロ野球の試合は年に数試合は見ていましたけど、まさかプロ野球チームが移転してくるとは思っていなかったので、すごい衝撃を受けました。
――1位指名された
大谷翔平選手(現ドジャース)に注目が集まったドラフトでもありました。
鍵谷 当時は入団してくるかどうか分からなかったので、同期と「来なかったらやばいね」とか「来たら来たで大変だね」とか、そんな話をしていました。でも、実際に一緒にやるようになって、投げる球もすごいし、開幕戦で野手として先発していきなり打つし。すごい才能だなと思いましたね。それ以上に、一つひとつの動きや考え方が、今まで見たことがある高校生とは違うなって。あどけなさやかわいらしさもあるんですけど、自分がどういう発言や行動をしたら、周りにどういう影響を与えるかをしっかり理解した上で、行動をしていた。今も変わらずそうだと思いますけど、あそこまで自制心を持って行動できるのはすごいなと思います。
――大谷選手に負けず1年目から活躍しましたが、プロの世界でやっていけるという手応えはすぐにつかめたのでしょうか。
鍵谷 いや、もう全然。毎年、新しい選手が入ってきて、自分の体も変わっていって。ケガもありますし、プロでやっていくという長い目で見た手応えというのはなかなか難しい。1年やる難しさも分かりますし、そこから3年、4年、5年と続けていく難しさも分かるようになる。その瞬間瞬間において、こういったパフォーマンスが出せれば相手を抑えられるとか、そういった意味での手応えというのは何度かありましたけど。
――それはどういったタイミングだったのでしょうか。
鍵谷 最初は・・・
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