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惜別球人2024

山崎晃大朗(元ヤクルト) 引退惜別インタビュー 出会いに恵まれて「アイツのおかげでちょっと頑張れた部分もあるのかな」

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俊足堅守を武器にグラウンドを駆け回った現役生活。引退スピーチでは「全部が中途半端な選手でした」と語ったが、身長174cmの小柄な男はヤクルトに欠かせぬ存在だった。多くの出会いを財産に、次はコーチとしてチームに貢献を。愛されし『コータロー』が、第二の野球人生を歩み始める。
取材・文=島村誠也(フリーライター) 写真=桜井ひとし、BBM

ヤクルト・山崎晃大朗


引退前夜に芽生えたフル出場への思い


 2024年10月3日の神宮球場。ホーム最終戦(対広島)で出場し、現役生活に終止符を打った。日大からドラフト5位でヤクルトに入団し、9年間で通算596試合に出場。歩んできたプロ野球人生を振り返る。

──引退試合では広島の大瀬良大地投手、森浦大輔投手から安打で有終の美を飾り、9月29日の、イースタン・オイシックス戦(戸田)では薮田和樹投手から本塁打を放ちました。

山崎 3人が真っすぐで勝負してくれて、打たしてもらった3本です(笑)。後悔はまったくないです。

──引退試合はフル出場でした。

山崎 前日の青木(青木宣親)さんの引退試合をスタンドから観戦したんです。プロ野球を球場で見るのは1年目の7月以来で、このときは何も考えずに試合を見ていました。青木さんの試合は目線を引いてというか「青木さんかっこいい。やっぱ野球選手かっけー」って(笑)。スタンドから聞こえる声援とグラウンドで聞こえる声援はまったく違って、「明日の試合に出ないと、こんなすごい場所に立つことはもうない」。そう思うとたまらなくて。嶋(嶋基宏)コーチに「監督に『フルで出たい』とお願いしてくれないですか」と連絡したんです。そうしたら「全然いいよ」と嶋さんに言ってもらえて。

──プレー中はいろんな思いが駆け巡ってきたのではないですか。

山崎 試合は過去の思い出が駆け巡るというより、本当に両膝が痛くて「ボールが飛んで来るな」とだけ思っていました(笑)。でも本当に心置きなくすっきりと終われました。

──9月25日に引退を発表しました。決断の理由を教えてください。

山崎 右膝の状態と、もともとメニエール病(めまいや吐き気が繰り返し起こる病気)に悩まされていて、それがちょくちょく起きるようになったのが理由です。その中で、並木(並木秀尊)、丸山(丸山和郁)、岩田(岩田幸宏)といった若手たちが、しっかり地に足を着けて考えられるようになった。「ああ、自分もそろそろなのかな、こいつらがいるから大丈夫かな」と成長を感じた部分もあります。

──先ほどの1年目にプロの試合を観戦した2日後のこと。戸田寮で「一軍を忘れている自分がいました」という言葉が印象に残っています。

山崎 1年目は一軍キャンプで始まり、年の離れた先輩方とずっと一緒に練習をしてきて、気持ちの面で疲れてしまったというか。オープン戦で打てずにファーム降格を告げられて。戸田に行くと、年の近い選手だったりがいて、そうなったときに・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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