17年前、高校通算65本塁打の超高校級内野手としてドラフトの中心にいた。しかし、周囲からの期待、自身の意気込みとは裏腹に長い雌伏の時を過ごすことになる。試行錯誤の中でも、あきらめることなくがむしゃらに続けた取り組みは、トレードを期についに花開いた。3球団で培った熱き魂と思いを未来へとつないでいく。 取材・構成=武石来人 写真=桜井ひとし、BBM 思い描いた未来とプロとしての姿
高校時代から140メートル超の打球を飛ばすパワーに投手として最速147キロをたたき出すポテンシャル。超高校級の大型内野手として鳴り物入りでプロの世界へと入団した。華やかな姿にあこがれを持ち続ける一方で、目指したのは泥臭くカッコいい背中だった。 ――現役生活お疲れさまでした。プロ野球選手ではない17年ぶりの年末年始はどうでしたか。
大田 例年は体を動かして、年が明けたら戦闘モードに入るのですが、今年はなかったので不思議な感じがありました。アスリートとしては終わったという実感が湧きましたね。
――不思議な感じですか。
大田「新鮮」とも言い換えられるかもしれないですね。張り詰めずに落ち着いて過ごすのは、人生の中でも初めてくらいでしたから。家族と一緒にゆっくり時間が過ぎていく感覚も例年とは違いました。引退を実感して寂しいというより、これも新たなスタートなのかなと思いながら。
――17年前のプロ入団時は大きな注目が集まりました。当時はどんな未来を思い描いていましたか。
大田 ドラフトで指名を受け、原(
原辰徳)監督が当たりクジを引いてくれて、さあここから夢物語がスタートするのかなと思っていた自分も確かにいました。
――早期の活躍もイメージしていたのでしょうか。
大田 高校卒業後すぐに活躍する選手って、一生語り継がれるようなスーパースターの方しかいない。そんな中でも当時は同じ高卒の
坂本勇人さんがジャイアンツのショートとしてレギュラーを獲っていました。僕も同じように2、3年でレギュラーを獲れたらいいなと思いながら、一軍でホームランを打って活躍する姿を思い描いていましたね。
――目標にしていた選手はいますか。
大田 地元が
広島なので、よく広島戦を見ていて、
緒方孝市さんが大好きだったんです。泥臭いプレーをする中でも華があって、足が速くて、ホームランも打てる。子どもながらにカッコいいな、あんな選手になりたいなと思っていました。
――幼少期のあこがれが大きかったのですね。
大田 原さんからも大きな影響を受けていました。人間性から、立ち姿やプレースタイル、すべてにおいて華がある。現役時代を生では見てないですけど、背番号8でプレーする姿は映像を見るたびにきれいだなって感じていました。
――ご自身も華のあるプレーや姿でスタンドを沸かせていた印象です。
大田 そうですかね(笑)。僕の勝手なイメージですけど、原さんはワンプレーがすべてカッコ良くて惹(ひ)きつけられる。僕はどちらかと言うと泥臭く一生懸命な姿を皆さんに届けたいという思いでプレーしていたので。そういった意味では・・・
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