見ている者を、ワクワクとさせる選手である。打って、投げて、走って、守って、すべての分野で魅了できる。高校時代は背番号2ケタだったが、大学4年間で急成長。環境と人に恵まれた、山梨での7年間だった。 取材・文=志村海 写真=大賀章好 
明治神宮大会出場をかけた関東選手権は準決勝敗退。悲願の初出場をあと1勝で逃したが、大学4年間を完全燃焼した
人はいつ、どこでターニングポイントを迎えるか分からない。
日本ハムから3位指名を受けた山梨学院大・
宮崎一樹は、劇的な野球人生を歩んできた。攻守走三拍子そろった大型外野手。走塁では50メートル走5秒9の脚力を生かし、積極的に次塁を狙う。打撃ではパンチ力があり、飛距離は規格外。中堅手として広い守備範囲を誇り、遠投120メートルを誇る強肩で相手の進塁を阻止する。指名を受けた瞬間は「ホッとしたが、身が引き締まる思い。さらに成長していかなければならない」と慢心はない。ドラフト指名に至るまでの道程は、決して平たんなものではなかった。
東京都出身。中学時代は名門・調布シニアでプレー。高校は西東京の強豪校への進学も考えていたが「施設が素晴らしい」と全国屈指の環境を誇る山梨学院高に進学。当時は目立った存在ではなかった。同年代には高校通算53本塁打の
野村健太(早大)ら錚々たるメンバーがいた。周囲のレベルに戸惑う日々。「ついていくのが大変だった」。努力が実り、3年時に春夏連続で甲子園に出場。春は背番号13、夏は15でベンチ入りし、計3安打2打点を記録した。
硬式野球は高校で一区切りをつけ「自宅から近くて通いやすい」との理由から、中大準硬式野球部のセレクションを受ける準備を進めていた。だがスポーツ推薦入試の「レギュラーであること」の基準に満たないことが分かり断念。山梨学院大に内部進学し、硬式野球を継続した。
コロナ禍の1年春の中止を経て、同秋から関甲新学生リーグに出場。3年春に12盗塁で初タイトルを獲得した。転機は3年秋。地道に続けてきたウエート・トレーニングの成果で体重が約10kg増加したことに加え、打撃改造で「逆方向にも飛距離が出るようになった」と、同秋は打率.600、5本塁打、19打点、24安打の活躍。最多本塁打、最多打点、最多安打、ベストナインを受賞。同年12月に松山で行われた侍ジャパン大学代表候補選手強化合宿に初招集され・・・
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