経験した者にしかわからない重圧を、2年春から味わってきた。かつて「平成の怪物」と言われた松坂大輔も着けた横浜高のエース番号。プレッシャーを乗り越えた裏付けには、豊富な練習量があった。 取材・文=萩原孝弘 
10月23日のドラフト当日、3年間、汗を流してきた仲間たちから祝福を受けた。奥村はマリーンズの「M」のポーズを取る。左手前は大学進学する主将・阿部葉太[写真=萩原孝弘]
「野球のお父さん」の存在
運命のドラフトで
ロッテから3位指名と高評価を受けた
奥村頼人。夢の扉が開かれた瞬間「野球のお父さん」と慕う恩師・村田浩明監督と熱い抱擁を交わした。
『プロ野球選手になる』。その志を胸に滋賀から神奈川の名門・横浜高へ進学を決めた左腕の傍らには、常に母校を率いる指揮官の姿があった。
2人のストーリーは、約5年前までさかのぼる。村田監督は「中学2年生から彼のことは見ていました。すごく輝いていまして、この子と一緒にやりたいと思いました」と当時を回想。「本人も口説きましたが、遠くへはやりたくないというお母さんも口説きました」と懐かしい苦労話も口をつく。紆余曲折ありながらも横浜高への越境が決定。決め手は「なんとか頑張って絶対にプロ野球選手になりましょう。そういう教育をしていきますということで預からせていただきました」と監督の熱意とビジョンの賜物だった。
覚悟は決めた。だが「こちらに来るときは、やはり言葉も違いますし、すごく不安もありました」と、15歳の心は揺らいだこともあった。それでも「指導者の方や仲間たちが、関西弁などの違いも受け入れてくれました。そういうところも尊重して、個性として伸ばしてくれました」と心配は杞憂に終わったと振り返る。
不安なく野球に取り組める環境に身を置けたこともあり、入学当初からその才能を輝かせることに成功した。1年春から背番号「15」を着けてベンチ入りを果たすと、秋には「10」へとステップアップさせた。2年春には早くもエースの称号である「1」を背負い、自身の代となった同秋の明治神宮大会制覇に貢献。3年春のセンバツでは同校19年ぶりの優勝を達成し、夏も8強まで進出する原動力となった。1学年後輩で福岡県出身の152キロ右腕・
織田翔希の面倒を見た。自らがそうしてもらったように、プレーしやすい環境を整えている。侍ジャパンU-18代表では、U-18W杯で準優勝に貢献。横浜高を通じて、投げるだけでなく、バットでも高い才能を発揮していた。

3年春のセンバツ優勝、夏の甲子園は8強進出。侍ジャパンU.18代表でもプレーし、大舞台を経験しているのは大きな強みである[写真=宮原和也]
ダブルゴールを見据えて
そして、つかんだプロの切符である。「寮生活でも仲間に恵まれたおかげで、人間的に成長することができました。その人間的成長が野球面での成長に直結することをすごく感じた3年間でした」。
周囲の支えに感謝。村田監督にも「日頃は感謝を伝えることはできませんでしたが、3年間、お世話になりました。ありがとうございました」と頭を垂れた。
それを受けた恩師は「横浜高校のエースとして、本当に朝から晩まで努力していました」と、ひたむきに取り組む姿が実を結んだと強調。続けて「一日一日、甲子園優勝とプロ野球選手になることのダブルゴールを達成しようとの目標を、この日に迎えられたことにすごく感激しています」と感慨に浸った。
夢舞台へ進む教え子に「ここからが奥村頼人にとって大きなスタートの一歩だと思います。すべての人への感謝の気持ちを持って、横浜高校卒のプロ野球選手として高校を代表する、そして日本を代表する、みんなに愛されるピッチャーになってほしいなと思います」とラストのエールを贈った。二人三脚で突き詰めたストーリーの第一章は、最高の結果をもって、フィナーレを迎えた。
滋賀から横浜を経て、千葉へと導かれた第二章のスタート。そこには不思議な縁が二つ存在した。
一つ目は村田監督とロッテとの縁。「成瀬さんがロッテに行かれて、涌井も千葉出身で一時期はロッテに行きましたしね」と自らも横浜高OBで、在学時には捕手としてプレーした村田監督は、2年時の2003年春のセンバツで1学年先輩の
成瀬善久、同級生の
涌井秀章とバッテリーを組み準優勝に貢献。「成瀬さんも涌井もロッテで活躍されていましたね。頼人も千葉ロッテさんという素晴らしい球団に指名していただいたので、2人を超えていくような投手に育っていってほしいですね」と未来予想図を思い描いた。
もう一つは25年の甲子園を沸かせた健大高崎高・
石垣元気との縁。最速158キロ右腕は、1位入札2球団競合の末、ロッテが交渉権を獲得。侍ジャパンのチームメートであり、奇しくも同期入団となったライバルに、奥村も「ともに切磋琢磨して頑張りたい」と共闘を心待ちにした。「実はドラフト前に石垣と連絡を取っていまして」と自ら切り出し「1位と3位なら入団会見のときに席が隣なので、同じ球団に行けたらいいなと話をしていました。それが叶ってうれしいです」と望みどおりの結果に相好を崩した。クジ運が左右するなど不確定要素の多いドラフト会議。さらに高卒ピッチャーを上位で2人指名することも稀有。これにも強い縁を感じずにはいられない。
“投げる哲学者”を参考に
あこがれ続けた世界へ。18歳の若者は「左腕は貴重だと思いますので、それを生かしながら、唯一無二の真っすぐを最大限磨きたい」と、プロで生き抜くロードマップを思い浮かべる。目標とする選手は「早川(
早川隆久)選手は自分が小学校5年生のときに甲子園に出ていたときから追いかけていました。早稲田大学で活躍している姿、
楽天に入団してからもずっとお手本にしている選手です。あこがれであり、ファンでもあります」と、球のキレと制球力で勝負する左腕に自身を重ねる。「将来、自分がならないといけない姿」とまで言い切る対象は、カブスFAの
今永昇太。メジャーの強打者を理論で翻弄する“投げる哲学者”を参考にし、いずれはアメリカに羽ばたく野望もある。
「ここからどんどんレベルアップしたいです。さらに自分のやるべきことが見えてくると思うので、自分自身にもっと厳しくやっていきたいと思います」。よりストイックに野球に向き合う覚悟を示した。
『横浜一強』を掲げた名門・横浜高の背番号「1」と勝利への重圧に打ち克ち、昨秋の新チームから今春の関東大会準決勝(対専大松戸高)まで公式戦27連勝をけん引し続けた奥村。努力で呼び込んだ運と不思議な縁を武器に、この先もサクセスストーリーを紡いでいく。
PROFILE おくむら・らいと●2007年9月18日生まれ。滋賀県出身。179cm83kg。左投左打。高宮小1年時から高宮スポーツ少年団で野球を始め、投手。6年時に
阪神Jr.でプレー。彦根中では滋賀野洲ボーイズに在籍し、県大会準優勝が最高。横浜高では1年春から背番号「15」でベンチ入りし、同秋は「10」。2年春から「1」を着ける。3年春はセンバツ優勝、同夏は8強。最速148キロ。変化球はチェンジアップ、カーブ、スライダー。