この秋、学生ラストシーズンに間に合わせてきた。今春は腰を痛めてチームを離脱し、無念を味わった。しかし、目標はブレない。9月18日には、プロ志望届を提出。10月24日のドラフト会議に向けて、目の前のできることに集中していく。 取材・文=岡本朋祐 写真=BBM 
大学4年間は決して平たんな道程ではなかったが、一つひとつをクリアし、人としても成長してきた
コントロールには、絶対の自信がある。「ストライクを投げることに関して、困ったことはありません」。
木村駿太朗は胸を張って言う。原点は幼少期にある。
「自宅の庭にコンクリートの壁がありまして、チョークで『〇』の印をつけて、そこをめがけて投げていました。ボールに色が付くのを、楽しんでいたんです」
兄・玄太朗さんの影響で野球を始めた。
大分豊府高、鹿児島大を経て、東京の社会人クラブチーム・Nbuyに在籍している。ストレートの最速が130キロ台中盤の187cm右腕から多くを学んだという。
「野球だけでなく、勉強もしっかりやりたい。入学前も県上位進出で実績を残していた大分舞鶴への進学を決めました」
同校では「国公立進学志望」と「私立進学志望」に、クラスが分かれる。木村は「舞鶴に進学した意味がなくなる。埋もれてしまうのが嫌だったので……」と、あえて科目数が多い国公立大学を目指す勉強をした。
部活動にも力を入れた。1学年上には青学大から昨年、ドラフト1位で
広島から指名を受けた
常廣羽也斗、同学年には左腕・新名凌馬(国学院大4年)と高いレベルで切磋琢磨してきた。
かねてから、高卒プロへの思いが強かった。3年時はコロナ禍で、甲子園出場をかけた地方大会、そして全国大会が中止。145キロ右腕・木村は・・・
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