プロ入りから、そのほとんどをファームで過ごしてきた。迎えた9年目の今シーズンが、これまでと違うものになったのは確かだ。だが、チャンスを自分のものとするには、まだ物足りない。ファンは期待して、信じている。だって彼は『ミギータ』なのだから。 文=田尻耕太郎(スポーツライター) 写真=湯浅芳昭、BBM おまえはミギータや!
6月5日、甲子園。スタメン発表で
真砂勇介の名前は、四番の
柳田悠岐に次いで球場内にアナウンスされた。
「五番、センター、真砂」
巨大な銀傘にウグイス嬢の声が跳ね返り、広い甲子園にそのフレーズが心地よく響き渡った。プロ9年目。初めてクリーンアップを任された。
阪神の先発はルーキー左腕の
伊藤将司だ。3月6日のオープン戦(PayPayドーム)で対戦し本塁打を放っていたことがこの日の抜てきにつながった。
すると、0対2で迎えた6回、その起用に応える。一死から柳田が中前打を放って一塁へ。ここで真砂は、1ストライクからの2球目を執念で外野へ弾き返した。打球が左中間を割る間に柳田が本塁へ激走して1点差。真砂は三塁まで行き、右拳を振り下ろして気合のガッツポーズを決めた。
「ギータ(柳田)さんが塁に出たので、チャンスを広げていくんだ、自分で流れを変えるんだ、という強い気持ちで打席に立ちました」 
甲子園でのひと振りを含めて、違いを見せる今季。前半戦だけでキャリアハイの成績を残した
工藤公康監督も「ちょっと暗い雰囲気だったベンチを、真砂があの一打で盛り上げた」と喜んだように、反撃の口火が切られた打線はこの回、二死から
甲斐拓也に2ランが飛び出して逆転に成功。その後も毎回得点を記録して10対2と圧勝した。6戦ぶりの白星。今季の交流戦では敵地8戦目でようやくの初勝利だった。闘魂注入の一打を評価された真砂は、翌6日も五番で出場。初回に
栗原陵矢の先制打のあと、二死一塁から中前打でつないだことで満塁までチャンスが広がり、甲斐の2点適時打を呼び込んだ。この2試合で放った安打は前述の2本のみだったが、価値ある場面だったことに加えて、何よりもひたむきにプレーする姿がチームメートの心をも打った。
前半戦はチーム88試合中71試合に出場した。昨年の50試合が自己最多だったが、早くも大きく塗り替えてみせた。打席数も初めて3ケタに到達(118)し、安打数(28)や打点(8)もすでにキャリアハイだ。4月29日のPayPayドームでの
日本ハム戦では左中間テラス席に今季1号のホームランを放った。これが勝利を決定づける貴重な一発で、お立ち台に呼ばれる。
中村晃、
武田翔太に続いてマイクを握った真砂は、インタビュアーに締めのあいさつを求めらてしどろもどろに。そんな中、この日のイベントだった『どんたく博多デー』にヒントを得て、大きな声で
「1、2、3、わっしょーい」と盛り上げた。鷹のムードメーカーにふさわしいパフォーマンスだったが、ファンからは不満というか寂しさの声が上がり、それは真砂の耳にも届いたという。
「何で『マッサゴー、ゴー、ゴー!』をやってくれなかったんですかって、いろんな人に言われちゃいました」 かつて、メディアでインタビューを受けるたびに自身の名前と昔大流行したテレビアニメを掛け合わせた、ひょうきんなポーズと笑顔でいつも披露していたのがファンの間で評判だった。いつかの取材で
「お立ち台に立ったらやります」と宣言していたのを、多くのファンはちゃんと憶(おぼ)えていたのだ。
「あるときから成績も残せていないのに何やってるんやろと思って。言わなくなったら、一軍で成績も残せるようになってきた。だからあの日も言わなかったんですけど……。皆さんが憶えているのも驚いたし、期待しててくれたなんて」 確かに今年9年目になるまで、ほとんどの時間をファームで過ごしてきた。
だけど、ファンは信じていた。いつかはやってくれるはず、だって彼は『ミギータ』なのだから、と。
「すごいぞ、右のギータ(柳田の愛称)やな。おまえはミギータや!」
宮崎市の生目の杜運動公園。メーン球場のアイビースタジアムに隣接する、客席スタンドのない第2球場で、その声は轟(とどろ)いた。
2016年2月の春季キャンプだった。主力のA組がメーンを使用し、B組は第2球場で練習を行う。この前年にトリプルスリーを達成した柳田がオフに手術を受けた影響でB組で調整を行っていた。柳田は三塁側のベンチ前から、そして真砂は一塁側のベンチ前から、それぞれ外野に向かって同じタイミングで
ロングティーを行っていた。打球の勢いも飛距離もほぼ互角。それを見ていた当時二軍打撃担当の
藤本博史コーチ(現・二軍監督)が驚嘆の声を上げたのだった。
U-23W杯初代MVP
だが、その呼び名はすぐに浸透したわけではない。この年は二軍でようやくレギュラー格となり、初めてウエスタン・リーグのシーズン規定打席をクリア。90試合出場、打率.295(リーグ5位)、7本塁打、44打点、18盗塁。夏にはフレッシュオールスターにも初出場したが、一軍デビューはまだ果たせていなかった。
そんな男に白羽の矢が立つ。
23歳以下というくくりはあったが、侍ジャパンに招集されたのだ。同年10月28日から11月6日までメキシコで行われた『第1回WBSC U-23ワールドカップ』に参戦。それだけでも「まさか」と驚いたことなのに、代表に合流するとさらなるサプライズが待っていた。
「まさかの四番バッターですよ。僕、ホークスの二軍でも四番を打ったことはなかったのに」 このとき、若侍を率いた
斎藤雅樹監督(
巨人二軍監督との兼任)が「ミギータ」のニックネームを知っていたのかは不明だが、「中心としてやってもらわないといけない選手」と大きな期待を寄せられた真砂は大会の全9試合で四番打者を張った。
「僕は長距離砲タイプじゃありません。確かにホームランに対する欲は出てきたけど、強い打球を打つためにバットを強く振って、ボールの下をたたいたときにはスタンドインというのが理想。ヒットの延長です」 どれだけ「ミギータ」とおだてられても、真砂は首を縦に振らなかった。一軍に上がるために必要なのは確実性だと考え、欲を出さぬように堪えていた。しかし、ワールドカップという大舞台で長打力が光を放つ。スー
パーラウンドの韓国戦では7回裏に同点本塁打を左翼席最上段へたたき込み、宿敵相手の延長10回サヨナラ勝ちを呼び込んだ。決勝のオーストラリア戦でも大会4本目となるアーチを放り込むと、侍ジャパンU-23代表は初代王者に輝き、真砂は大会ベストナイン選出に加えて世界大会でのMVPに選ばれたのだった。
そのときに見たロマンも、感じた希望も、みんな忘れていないのだ。

真砂にとっても、ファンにとっても印象に強く残る2016年U-23W杯の活躍。このまま一気に飛躍を遂げるかと思われたが……[写真=Getty Images]
この翌年の17年に一軍デビューを果たし、8月3日の
オリックス戦(京セラドーム)で
山崎福也から中越えソロを放ち、プロ初本塁打だけでなくプロ初安打初打点もマークした。しかし、19年までのプロ7年間では一軍通算22試合にとどまり、通算安打も4本だけ。期待に応えられない現実が、真砂の心を闇に落とした時期もあった。もともと明るいムードメーカーだが、根はマジメな男だ。
悩んだ。とことん悩んだ。焦って、空回りもした。
しかし、
ソフトバンクには最高のお手本がいることに気づいた。
松田宣浩や
川島慶三といった年長者がどんなにチームや自身が苦しいときでも声を張り上げて、周りを鼓舞することを忘れなかった。そして、柳田だ。とにかく野球を楽しんでいる。あの柳田でもうまくいかないときはある。それでも、くよくよはしない。
特に柳田には自主トレでもずっと世話になっている。
「僕からではなく、柳田さんが『一緒にやらないか』と声を掛けてくれたのがきっかけです」。
17年1月のグアム自主トレから、今年1月の佐賀県嬉野での自主トレまで、基本的にはずっと帯同させてもらっている。
糸井嘉男(阪神)や
吉田正尚(オリックス)が一緒に汗を流した年もあった。
「みんな、すごくシンプルな考え方でした。同じように話していたのが『自分のスイングをした中に、ボールが入ってくる』との感覚でした。ミスショットをしても気にしない。僕はどんな当たりなのか、どのような打球なのかばかり気にして、結果を追い求めるあまりバッティングが小さくなっていたように思います」 
ようやく飛び出したプロ初本塁打では、柳田[写真右]に抱きつき喜びを分かち合った。こんな師弟の姿を、もっと、もっと見たい
打撃は力じゃない
野球を楽しむ。それを再確認したのは、ようやく昨年あたりからだ。その昨シーズンは41打席ながら打率は.314をマークして、これまでになかった手応えを得た。
「開幕延期で自主練習期間が長かった。そのときの練習で、自分の中で試してみた打ち方があって、それがすごく良かったんです」 シーズン後半から一軍に上がるとそのまま定着した。そして今シーズンは、初めての開幕一軍入りを果たした。自らの活躍で出場機会を増やし、7月はチーム11試合中9試合でスタメンにも名を連ねた。勢いを持って東京五輪に伴う中断期間に突入。エキシビションマッチでは全9試合で30打数8安打、1本塁打、4打点の成績。後半戦でのレギュラー奪取、そして定着への大事な期間ととらえて、もう一段階上のレベルも目指した。
「打席での立ち方を極端に変えてみました。真逆と言っていいくらい」 左右の体重のかけ方が5対5だったのを、軸足にぐっと残してみた。左右バランスは2対8。ヒントは
小久保裕紀ヘッドコーチの言葉だ。
「俺は現役時代に2つの打ち方があった。不調でダメなときがあっても、もう1つ信頼できる打ち方があったから、長く戦えた」。エキシビションマッチでの本塁打は、ちょうど“真逆”を試したときだった。しかし、「何か違和感を覚えた」。元の打ち方に戻してみたものの、今度は本来の打撃もどこか狂ってしまった。
もしかしたら、また焦ってしまったのかもしれない。チームは7月にトレードで阪神から
中谷将大を獲得し、さらにキューバ出身のD.
アルバレスも入団させた。いずれも右打ちの外野手。
「悔しいですよ。まだ僕では物足りないと思われているということ」。決して卑屈ではなく前向きな表情でそう語るも、結果がついてこなくなった。
8月24日、真砂は一軍選手登録を抹消された。一軍で完走をするという目標を果たすことはできなくなった。
暦の上では立秋(今年は8月7日)を過ぎれば残暑となるが、そう呼ぶにはあまりにも過酷なファーム本拠地のタマスタ筑後で真砂を見たのは9月7日のウエスタン・
中日戦のこと。ファーム降格後、その前日までの成績は21打数1安打、打率にして.048の惨状だった。一体どうしてしまったのか。もう気持ちが切れたのかと心配になるほどの数字だ。しかし、この日の打席はひと味もふた味も違った。1打席目に左前打を放って迎えた第2打席、ホームランを右方向へ運んだ。不思議な感触だったと真砂は振り返る。
「思いっ切り『ブンッ』と振ったわけではない。引きつけて『パチン』ととらえた。正直、自分でもどうやって打ったんだろうって感じだったんです。ただ、今まで右方向に打った中で一番きれいに打てたと思います」 ただ、それは
王貞治球団会長が熱心に真砂へアドバイスしていた打撃を体現したものだった。
「右へ大きな打球を打つ力があるんだ。でも、打撃は力じゃない。ボールの芯とバットの芯を結べば、勝手にボールは飛んでいくんだから」。これを機にバットに快音が戻ってきた。
「もちろん一軍に早く戻りたい。だけど、目先にこだわらず、もう迷わない形をつくり上げるのが一番だと思っています。プロの世界の厳しさは分かっているつもり。期待だけで長くやれない。ただ、僕は一軍で出番が増えたのは昨年からで、本当に満員の球場でプレーした機会がまだ少ない。大歓声の中でやりたい。そんな日常が戻ったときに、ユニフォームを着てグラウンドに立っていられるよう、悔いのないよう日々過ごしたい」 遅咲きの花ほどたくましく育つこともある。努力によって目覚めた才能は、決して裏切らない。迷わず、前へ。

いつか、大歓声の中でヒーローに。そのために、まだまだやるべきことはたくさんある
PROFILE まさご・ゆうすけ●1994年5月4日生まれ(27歳)。185cm87kg。右投右打。京都府出身。西城陽高-ソフトバンク13(4)=9年