ムードメーカーが見せる“素顔”。いつもチームのために一生懸命。その姿を、今季は一軍捕手として試合で、スタメンマスクで見せている。指揮官が語る“本物”に向かって──。これまでの4年間とは違う景色、新しい思い出が、日々、つくられている。 文=田尻耕太郎(スポーツライター) 写真=湯浅芳昭、BBM 周りと少し違う
今季、開幕を数日後に控えた3月某日のこと。海野隆司は
高谷裕亮一軍バッテリーコーチにこう告げられた。
「海野、3戦目に行くからな」
ソフトバンクの正捕手と言えば、もう長い間、
甲斐拓也が君臨している。2017年シーズンから毎年100試合以上に出場し、6度のゴールデン・グラブ賞を獲得。侍ジャパンの一員としても東京五輪金メダルや昨年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での世界一にも貢献するなど、言わずもがな日本球界を代表するキャッチャーである。
しかし、3月31日の
オリックス戦(京セラドーム)のスタメンマスクに、海野が指名されたのだ。開幕カードで甲斐以外の捕手がスタメンで起用されたのは過去6年なかったことだった。
「スタメンを言われた瞬間、背筋が伸びたというか、すごく身が引き締まる思いになりました。ただ、驚きは正直なかったです。2月のキャンプをA組(一軍)で過ごした段階から高谷コーチには『スタメンで行ける準備をしておけよ』と常に言われていましたし、僕自身も今年は頭から出るんだという強い気持ちを持って臨んでいたので」 海野という男は、実に冷静だ。感情をあまり表に出さない。ファンはそれを意外だと思うかもしれない。傍(はた)から見ればひょうきん者でムードメーカー。画面越しではそんな姿を何度も見せてきた。そんなキャラクターを特に印象づけたのは2年前のシーズン。当時チームの主軸を張っていた
ジュリスベル・グラシアルが本塁打を放った際、ベンチに戻って仲間とのハイタッチを終えると最後はシャドーボクシングで喜びを表すのがお決まりのパフォーマンスだった。その“殴られ役”は当初、まだ現役だった高谷が務めていたのだが、21年限りで引退すると海野が2代目を継承したのである。高谷のそれも人気を博していたが、海野もリアルな動きでファンの心をがっちりつかんだ。また、この年の宮崎での主催ゲームが雨天中止になると、1人グラウンドに出てきてずぶ濡れ覚悟でダイヤモンド1周からのヘッドスライディングを敢行。がっかりしていたファンを一気に笑顔にした。
だが、海野はいつも
「本当はそんなキャラじゃないんです」と小さく苦笑いをする。
「周りに求められるんで。チームのためになるのなら、自分でよければ一生懸命やろうかな、と」 捕手というポジションは『功は人に譲れ』の考えが基軸だと言われる。目立ってナンボのプロ野球界において異なる性質を持たなければならない。
「確かに周りと少し違うというか。自分はキャッチャーっぽい性格だなと常々、思っていますよ。ただ……」 海野がここでも小さく笑う。
「キャッチャーはもともと嫌々やり始めたんですよ」 1997年生まれ、岡山出身。平福小に入学するとすぐに、2人の兄の影響を受けて福島下町ソフトボールに入団してボールを追い掛けるようになった。捕手一筋の野球人生の始まりは小学5年生のときだった。
「そのときのピッチャーの球を捕れるキャッチャーがチームにいなくて。監督から『ちょっとやってみろ』と言われて座ったら、簡単に捕れちゃったんです。『じゃあ、よろしく』って。そのやり取りだけでキャッチャーは僕に決まりました(笑)。ただ、正直、キャッチャーは一番やりたくないポジションでした。暑そうだし、痛そうだし……」 将来プロになる少年の天賦の才とも言えるエピソードなのだが、海野は・・・
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