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野球浪漫2024

日本ハム・加藤貴之 “精密機械”が生まれた1球「その1球で『力が抜けても、力を入れたときと変わらないような真っすぐが行くんだ』と思った」

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社会人時代は野手からのスタートだった。プロの世界に飛び込んでからも、自らの居場所を見つけることができずにいた。先発投手として輝きを放つことができたのは、出会い、そしてある“1球”があったからだ。
文=杉浦多夢 写真=高原由佳、BBM


9年間での成長


 悔しさの中にも、9年間における自らの確かな成長を感じていた。

「プロ1年目は本当に一瞬でシーズンが終わったなっていうか。こんなに1年って早いんだなと思いました。全部が初めてだったので、何も分からないままにシーズンが進んでいった」

 16試合の先発を含む30試合に登板して7勝。ルーキーとしては堂々たる成績でリーグ優勝に貢献したにもかかわらず、加藤貴之はプロの世界でやっていけるという確たる手応えを得られずにいた。クライマックスシリーズ(CS)ではソフトバンクとのファイナルステージ第5戦(札幌ドーム)で「緊張してまったく自分の投球ができなかった」と1回4失点KO。逆転で日本シリーズ進出に沸くチームの中で1人涙を流していた。リベンジの舞台とするはずだった広島との日本シリーズでは第5戦(札幌ドーム)で先発マウンドに上がりながら、2回一死満塁で降板を余儀なくされて2回途中1失点。チームが日本一の歓喜に沸く中で、心から喜ぶことができない自分がいた。

 8年がたった今季、チームにおける立場は期待のルーキーからエース格の1人へと変わり、6年ぶりとなるCSの舞台ではロッテとのファーストステージ第1戦(エスコンF)のマウンドを任されるまでになっていた。

 結果だけを見れば、今回もまた厳しいものだったことは事実だ。佐々木朗希との投げ合いに「粘り負け」して2被弾で2失点。続くソフトバンクとのCSファイナルステージでは第2戦に先発して「技術不足だった」と2回途中4失点でKO。それでも「やっぱりどんな形でも勝たないといけない。来季への反省材料として頑張りたい」と前を向いた。その心のありよう、8年前との変化を指摘すると、「そこは成長できたのかな」と小さく笑う。

 投手としての原点、成長を遂げることができたターニングポイントをひとつ挙げるなら、「やっぱり、(新日鐵住金)かずさマジックですかね」と振り返る。だが、スタートは野手として。高校を出たばかりで体の成長は止まっておらず、社会人野球の環境に慣れながらフィジカルの基礎をつくるための選択だった。いずれは投手に戻ることが前提だったが、「野手は大変でした。守るのが一番大変でしたね。打球も速かったし、怖かった」と懐かしむ。

 2年目の都市対抗予選が終わると予定どおりに投手へ再転向。だが、順風満帆とはいかなかった。夏の終わりに迎えた初実戦でいきなり左肩を痛めると、3年目を迎えても思うように肩が上がらない状態が続いた。病院で検査を受けても異常があるわけではない。「投げるときの動きが悪かったみたいです」と言うように、投球フォームに問題があった。トレーナーの協力の下、肩の柔軟性を高めながら動きを見直していくことで、痛みは消えていき、安定したフォームと肩の柔軟性の大切さという、今に通じる気づきを得ることができた。

 飄々とした言動とは裏腹に、熱い闘志とチームに対する強い思いを秘める。そんな姿は社会人時代から変わらなかった。4年目の夏・・・

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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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