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ヒューマンヒストリー2025

阪神・青柳晃洋 野球愛を貫く「体が元気なうちに、自分の挑戦ということで行ってみたい。野球選手として後悔がないように」

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4年前は自分自身さえメジャーを目指すとは思ってもいなかった。この4年間は紆余曲折、栄光と挫折、目に見えないプレッシャーに襲われた。実績があるからこそ見えなくなっていた。だが、その苦悩を超えた先にあったのは「野球が大好き」という思い。それを貫くためにも次のステージへ歩んでいく。
文=間宮涼(デイリースポーツ) 写真=宮原和也、BBM


 友人たちとグラスを傾けた10月中旬。シーズン中は控えている酒が進むと、本音がこぼれ出た。「メジャーのこと、すごい悩んでいる」。わずか2勝に終わった今季も変わらず、頭の片隅にあった大舞台への思いは、ついに大きく膨らんでいた。

 虎党のもとに衝撃のニュースが飛び込んできたのは11月15日。青柳晃洋は今オフにポスティングシステムを利用してMLBに挑戦することを表明した。「体が元気なうちに、自分の挑戦ということで行ってみたい気持ちが強い。結果うんぬんより、野球選手として後悔がないように」。12月11日に31歳を迎えた右腕は、マイナー契約も辞さない覚悟で夢を追う決意を語った。

 メジャー挑戦の意向を球団に初めて伝えたのは2021年オフ。きっかけは同年夏に日本代表の一員として出場した東京五輪だった。田中将大さん(現巨人)がいて、由伸(山本由伸、ドジャース)とか千賀(千賀滉大=現メッツ)さんとかがメジャーの話をしていた。それまではまったく興味がなくて『みんなこんなにメジャー志向があるんだ』と思いながら聞いていた」。日本球界トップクラスの選手たちが集ったチームは悲願の金メダルを獲得したものの、自身は2試合に救援登板して計1回2/3を5失点。厳しい結果となったのは事実だが、どこか人ごとだった世界が、目指すべき場所に変わった瞬間だった。

打たれたから目指す


「上から目線になるけど、日本では自分がちゃんと投げさえすれば、ある程度抑えられると思っていた。その中で、3Aとかメジャーに上がっていないような選手にも打たれるんだと分かったときに、『そういう野球があるんだ、じゃあ向こう(アメリカ)でやってみたい』と意識し始めた」。不撓不屈の精神が、最高峰の舞台への感心をかき立てたのだ。

 同年は最終的に自身初のタイトルとなる最多勝、最高勝率の2冠を獲得。翌22年には最優秀防御率も加えた3冠に輝いた。周囲からは「エース」と呼ばれる存在に成長。それだけに、いずれのオフも球団からポスティングシステムの利用は容認されなかった。

 そんな中、転機が訪れた。23年に岡田彰布監督が就任。金本知憲監督に見いだされ、矢野燿大監督の下で一軍に定着した右腕だからこそ、変化が起こり得ることは理解していた。「監督が代わったら、全部が変わると思っている。昨年まである程度の結果を出した僕はシーズンのスタートはいけるかもしれないけど、活躍しなかったらファームに行く可能性もある。全員が全員、チャンスでピンチ。監督が代わるというのは、それくらい大事なこと」

 年明けに抱いていた危機感は、現実のものとなってしまう。この23年、自身初の開幕投手を務め白星で飾った右腕。最高のスタートを切った、はずだった──。だが、その後は低調が続き、5月19日の広島戦(甲子園)で5回7失点5四死球と精彩を欠いて翌20日に二軍降格。以降、約2カ月間をファームで過ごした。19年以降、4年連続で規定投球回数をクリアし先発ローテの一角を担ってきた“代償”もあったのだろうか。「年齢のせいなのか“勤続疲労”なのか・・・

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