昨年はチーム最多タイの32試合で四番を務めた。プロ野球の中心を狙う選手が多数いる、今年23歳の世代。チームの未来を担う主軸となるために、勝負のシーズンだ。 取材・文=氏原英明 写真=川口洋邦、BBM 再戦は2025年まで持ち越された。
「23年に対戦したときからずっと悔しい想いを持ってやってきて、今度こそは、って気持ちがあります」 若手育成が叫ばれる西武の中にあって期待されている選手の一人が山村崇嘉だ。昨季は58試合に出場。32試合で四番を務めたが
佐藤龍世と並んでチームトップタイ。経験を積めた昨季だったが、山村から忸怩(じくじ)たる想いが消えないのはある人物の存在がある。
「23年は開幕戦でスタメン出場させてもらったんですけど、2試合でファーム落ち。開幕相手のオリックスの先発が同い年の山下舜平大で2三振しました。ずっと悔しいなと思っていたのに、そのシーズンは10月まで一軍に上がることができなかった。昨年は4月に一軍に上がることができたんですけど、ケガをしたし、山下も登板数が少なくて対戦がなかったんですよね」 現代っ子さながらの風貌で「イマドキ」の青年っぽく見えるが、実は昭和気質の「負けず嫌い」。中学時代から侍ジャパンに入り、高校は名門の東海大相模高。エリートとして生きてきた男にとって、同学年に完膚なきまでにやられたあの日の衝撃が脳裏を離れないのだ。
「(昨年は)いろんな経験ができました。悔しい思いも、うれしいこともありましたけど、悔しい気持ちが強くて、もっとできたんじゃないかっていうふうに思っていますね」 今季でプロ5シーズン目を迎える山村は言い方が悪いが、いわゆる「コロナ世代」。世界的に猛威を振るった新型コロナウイルス感染拡大の影響により夏の甲子園が中止になる不運に見舞われた。山下はもちろん、WBC日本代表の
高橋宏斗(
中日)や
内星龍(
楽天)、
中森俊介(
ロッテ)、
来田涼斗(オリックス)、
度会隆輝(
DeNA)、今年の大卒ルーキー・
宗山塁(楽天)などがその世代にあたる。
「宗山は高校時代から有名でしたし、高橋は縁はなかったんですけど、結構、みんな知ってますね。同い年の選手がどうしているかは気になります。中森と来田は2年生のころから甲子園で活躍していたんで、対戦したかったな」 新型コロナ禍で失われたものは多く
「得たものはそんなにないっす。試合ができなかったのは成長に響いた」と寂しそうに振り返る。
当時の東海大相模高と言えば、その世代の中でも注目されていたチームだった。山村は主力選手として2年夏に甲子園出場。3回戦進出を果たした。新チームになってからも関東大会で四強入りを果たし、3年春のセンバツ出場は決まっていた。それだけに、当時の話をする山村の表情は悔しそうだ。
「このチームで戦えないのかって思いましたね。2年までは神奈川県で優勝することが目標で、それからは大阪桐蔭を倒して日本一になるのが僕らの目標でした。中止が決まったときに、すぐ監督から電話がかかってきて・・・
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