現役時代を含めると、中日在籍27年目となる。打撃投手時代は主力クラスの打者(立浪和義、谷繁元信、井端弘和ら)に慕われ、2000年代の黄金期を支えた。11年限りで打撃投手を引退したが、現在は勝利のために用具担当としてチームを見守る。 取材・文=坂本匠 写真=桜井ひとし(メーン)、松村真行 
一軍用具担当◎54歳/勤続21年目
3たび中日に入団
1998年いっぱいでユニフォームを脱ぎ、翌99年から中日の打撃投手として第2の人生をスタートさせた。83年のプロ入りで、現役通算16年だから、もう裏方としてのキャリアのほうが長い(21年目)ことになる。
「考えたことはありませんでしたが、もう21年になるんですね。現役を終えて、ドラゴンズのスタッフになれたこと、いまでも球団の方々、相談に乗ってくださった先輩など、多くの方に感謝しています。まだまだ、ドラゴンズへ恩返しするために頑張っていかなければいけないですね」
優しい笑顔で語る中日用具担当・
平沼定晴さんのお仕事を紹介する前に、その興味深いプロキャリアについても触れておく必要があるだろう。
千葉県習志野市に生まれ、高校は千葉商大付高に進学。ここで関東屈指の速球派右腕と評価を高め、3年春のセンバツ出場でドラフト指名を決定的なものにした。2位の高評価で中日入りすると、2年目の84年に一軍初登板。中継ぎをメーンに3年目に20試合、4年目に34試合に登板するなど、ドラゴンズのお家芸でもある“継投”の重要なピースとして力をつけていく。その矢先の86年オフのことだ。「世紀のトレード」とも言われた
落合博満との交換トレードで、
上川誠二、
牛島和彦、
桑田茂の3選手とともに
ロッテへ。ここでも強気な投球スタイルで、9シーズンで261試合に登板するなど活躍を見せたが・・・
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