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優勝セレモニーにて。前列左が小西監督
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月10日だ。
1950年、2リーグ制初年度のセ・リーグの王者となったのが、松竹ロビンスだった。このチームは49年オフ、大陽ロビンスを映画会社の松竹が買収して誕生した球団だ。ちなみに「大陽」は間違いではない。47年までは「太陽」だったのだが、成績が低迷した時期、オーナーの田村駒治郎が「点があるから黒星がつくんだ!」と言って取らせたという。この逸話でも分かるように、かなり個性的なワンマンオーナーであった。
買収後、松竹は、豊富な資金力を背景に補強を進めた。特に同じ映画会社というのもあるのか、大映スターズをターゲットにし、ケンカでは球史最強と言われる
大岡虎雄、さらに元
中日球団代表・赤嶺昌志に心酔し、ともに球団を渡り歩いていた、いわゆる「赤嶺一派」の選手で、“和製ディマジオ”と言われた
小鶴誠、俊足で鳴らした
金山次郎らを引き入れた。
一番に金山、三番に小鶴、四番に前年から在籍していた怪力バッター、
岩本義行、五番に大岡を置いた打線は開幕から猛威を振るい、かなり物騒なネーミングだが、“水爆打線”とも言われて、一世を風靡することになる。
監督は、のちNHKの野球解説者として人気者になる小西得郎だ。1リーグ時代は大東京、名古屋で監督経験がある理論家だが、終戦直後は闇屋の親分ともつながりがあったクセ者でもある。
11月10日は、この松竹がセの初代王者となった日だ。
後楽園のダブルヘッダー第1戦で西日本パイレーツを9対0で破り、優勝決定。先発の
真田重男は完封で39勝目を挙げている。西日本は福岡を本拠として誕生したが、翌年からパの西鉄と合併し消滅する球団でもある。
最終的には2位・中日に9ゲーム差をつけ、勝ち星はいまなおセ最多98勝を積み上げた。
なお、金山は74盗塁で盗塁王、小鶴は当時の記録51本塁打、161打点で本塁打王、打点王。打率も.355だ。岩本は39本塁打、127打点、大岡は34本塁打、109打点をマークしているが、さらにすごいのは、この年、38歳の岩本がトリプルスリーを達成していることだろう。実は大岡も同年齢なのだが、いまのようにトレーニング理論が普及した時代でも難しいことを、サプリメントもウエート・トレも知らないオッサンが成し遂げたのだ。
ただ、案の定というべきか、日本シリーズ後、チームは早くも分裂。嫌気がさした小西監督は、1年で退団している。
写真=BBM