近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。 日本シリーズ前から水面下で画策

76年の日本シリーズ第7戦で7回に逆転2ランを放って阪急の日本一に貢献した森本だったが……
[1976年オフ]
阪急・
森本潔、
戸田善紀、
大石弥太郎、
小松健二⇔
中日・
島谷金二、
稲葉光雄、
大隅正人 1976年の日本シリーズで
巨人を制してV2を達成した阪急が、積極的にトレードに乗り出した。「阪急はこれからもV3、V4と続けていくチーム。打倒巨人に満足していると、知らない間にぬるま湯にひたることになる」と、
上田利治監督。日本シリーズを戦うと、12球団でもっとも長く野球をしていることになり、来季の編成着手は遅れがちになる。そのために、シリーズ前から水面下で工作を続けていたわけだ。
森本潔といえば、シリーズ第7戦の大詰め7回、逆転2ランを放ったヒーローだ。6度目の挑戦で、初めて巨人を倒した功労者の一人だといえる。だが、実はそのときにはすでにトレードは決定事項。ダイヤモンドを回りながら喜ぶ森本の姿を見て、上田監督はグッと涙をこらえたという。
当初は、76年に12勝していた阪急・戸田善紀と、69年の入団時から主力だった中日・島谷金二の1対1だったらしい。戸田は、中日にとってかねてからの意中の人だった。一方、当時の阪急は、
西本幸雄前監督の遺産ともいえる布陣が全盛期で、ネックといえば34歳と年齢が高く、往年のパワーに衰えの目立つ森本くらい。島谷なら、十分その後釜が務まる。
話が進むうち、阪急から戸田に森本を加え、さらに大石弥太郎、小松健二。中日からは島谷のほかに76年に3勝だった稲葉光雄、大隅正人という4対3の大型トレードが実現した。
中日はもともと、トレードによる補強にさほど積極的ではない体質である。62年のシーズン中、一時最下位にまで転落すると、「生え抜き選手をことごとく放出した
濃人貴実監督のせいだ」と、ファンからの不満がもれる。濃人は確かに、就任初年度には
杉下茂前監督カラーからの脱却を図り、2年目には元本塁打王の
森徹(大洋へ)など、大量9人を放出し、ファンの不興を招いていたのだ。そして結果的に、この年は3位を確保したのに、濃人は監督を解任される。
名古屋という土地柄の難しさ。その反動で以降、中日のトレード補強は当たり障りがなくなっていたのだ。
ただ、72年からは
与那嶺要監督が就任。ハワイ出身のアメリカ人である。76年の大型トレードも、名古屋の保守性より、自らの合理性を重視したのだろう。一方の阪急・上田監督も、西本の遺産だけではなく、上田色を強調するために、積極的に動いたフシがある。双方の思惑が一致し、大型トレードが実現したわけだ。
もっとも、いざ77年シーズンが始まってみると、お得だったのは阪急のほうだ。島谷は、生涯自己最高打率の.325、22ホーマーを記録し、稲葉は3勝だった前年から17勝6敗で最高勝率を獲得した。
一方、中日では戸田が6勝した程度で大石は未勝利、森本も出場は50試合に達していない。阪急がこの年、シリーズ3連覇したのとはあまりに対照的だ。与那嶺監督は、この“大赤字”の責任を取る形で退陣。以後中日は、86年オフに
星野仙一監督が就任するまで、トレードに関してはまた保守的な姿勢を堅持することになる。
写真=BBM