『ベースボールマガジン』で連載しているプロ野球選手の第2の人生応援プロジェクト「
パンチ佐藤の漢の背中」。現役を引退してから別の仕事で頑張っている元プロ野球選手の下をパンチさんが訪ね、お話をうかがってまいります! 今回は90年代のカープで中継ぎ投手として活躍し、現在は東京・代官山で「2-3 Cafe」を営むパティシエの
小林敦司さんをお訪ねしました。
サイドスロー転向が一軍定着の転機に

小林敦司氏(左)、パンチ佐藤
若者に人気の街・代官山。駅から歩いて数分、目抜き通りから1本、小道を入ったすぐ先に『2-3 Cafe』が見えてきた。扉を開けると、ハンチングに黒のTシャツ、首にバンダナという“ユニフォーム”に身を包んだ小林敦司さん。
店名の『2-3』はこちらの想像どおり、ボールカウント“2ストライク3ボール”からだという。ピッチャー出身の小林さん。「2-3は、ピッチャーがバッターを追い込んで有利な状況にある」ことから、この名前を選んだ。
パンチ まずはプロでの一番の思い出から聞かせてください。
小林 プロ初勝利ですね。5年目、
中日戦(1995年7月29日)の延長12回から投げて、13回裏に
町田公二郎さんのサヨナラ2ランで、勝ち投手になりました。
パンチ 5年目で、その1勝に至るには、何か転機があったの?
小林 3年目に、オーバースローからサイドスローに転向したんです。ピッチングコーチの
古沢憲司さんと今の二軍監督・
水本勝己さんが、居残り練習のときに、スピードはない、コントロールはない、変化球はないでどうしようもない。来年はないぞ、と。じゃあどうしたらいい? ということで、当時、球界のエースだった
斎藤雅樹さん(
巨人)をお手本にして、サイドスローにしたんです。そのころは、サイドも少なかったので。
パンチ 斎藤君も初めは上から投げていて、
藤田元司さんに「お前の体の使い方は、縦じゃなくて横回転だから、サイドのほうがいい」って言われたらしいじゃない。
小林 僕も同じことを言われました。上から投げても、腰が横に動いているから、力がうまく伝わらない、と。
パンチ それで大きく変わるものなんだね。
小林 もう最後だから、何かを変えるしかないと思いましたね。だから、サイドにして。そうしたら、まとまってきたんです。いい具合に多少荒れたし、ストライクを取ることもできたし。左バッターに弱いという弱点はありましたが、あのころはワンポイントが求められていたので、そこを目指しました。
トライアウト直前に肩を痛めて

広島時代にサイドスローに転向したことで一軍に定着することができた
パンチ 変化球とか、球自体のキレは変わった?
小林 僕は真っすぐとスライダーしかなかったんですが、スライダーでストライクを取れるようになりました。やっと野球ができるようになった、という感じです。
パンチ それが一軍につながり、初勝利につながったわけだ。
小林 はい。だけど翌年、練習中のケガでヒザのじん帯を切ってしまって、それから2年くらい野球ができなくなったんです。手術が終わってすぐ病室のベッドの上にいたときは、つらかったですね。もう野球ができなくなるんじゃないかと思いました。
パンチ だけどそこで復帰後、ひと花咲かせたんだから、よかったね。結局11年やって、引退を決意したときは何かきっかけがあった?
小林 10年、11年経つと、自分の実力と使われどころで、感じるところがありますよね。それから夏場以降、一軍に呼ばれないことを考えると、過去そういう例を多々見てきているから、ああ、やっぱり戦力外か、と。僕の年は合同トライアウトができた年だったんです。僕も参加したんですが、直前に肩を痛めて、キャッチボールの時点で球がいかず、その時点であきらめました。
パンチ 僕は違ったけど、要領のいい人はそろそろかな、と感じた夏場ごろから次の仕事に道筋をつけ始めたりするじゃない。小林君はどうだったの。
小林 僕は、実家が赤坂で和食屋をやっていたんです。プロに入れなかった時点で継ぐつもりでしたし、「いずれは」と思っていたので、トライアウトが終わって帰ってきて、すぐ父に話をしました。それじゃあ区切りのいい翌年1月から、と決めました。
<「2」へ続く>
●小林敦司(こばやし・あつし)
1972年12月8日生まれ、東京都出身。拓大紅陵高からドラフト5位で91年広島に入団。サイドスローに転向し、5年目の95年にプロ初勝利を含む16試合に登板。97年には30試合に登板し、防御率2.20の好成績をマーク。同姓の
小林幹英投手につなぐ「あつかんリレー」が話題となる。01年
ロッテに移籍も、同年限りで引退。59試合登板、1勝1敗0セーブ、防御率4.40。現在は「2-3 Cafe」(東京都渋谷区猿楽町24-1 ROOB2-1F)のプレーングマネジャーとして料理の腕を振るう。
●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年
オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。
構成=前田恵 写真=山口高明