プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。 戦後プロ野球の功労者たち
明日でちょうど“あの日”から60年となる。1958年4月5日の後楽園球場。これ以上ない豪快無比なデビューを飾ったのが長嶋茂雄だ。初打席満塁本塁打などの鮮烈なものではない。4打席連続でフルスイングの空振り三振。対戦した国鉄の
金田正一は勝者となったはずだが、そのスイングの鋭さに脅威を感じたという。
その後の長嶋の活躍については、ここでは触れない。ただ、この日を境に、“職業野球”と蔑まれていたプロ野球に光が当たるようになり、今日の発展につながったことは間違いないだろう。もちろん、それは長嶋だけの力ではない。35年生まれの世代は、実績だけでなく、そんな功績も残した投打ともに魅力あふれる顔ぶれだ。
【1935年生まれのベストナイン】(1935年4月2日~36年4月1日生まれ)
投手
杉浦忠(南海)
捕手
野村克也(南海ほか)
一塁手
藤井弘(
広島)
二塁手
岡嶋博治(
中日ほか)
三塁手 長嶋茂雄(巨人ほか)
遊撃手
本屋敷錦吾(阪急ほか)
外野手
毒島章一(東映)
近藤和彦(大洋ほか)
森徹(中日ほか)
指名打者
小玉明利(近鉄ほか)
通算成績で打率を除いて長嶋を上回るのが野村克也だ。通算657本塁打、1988打点は現在も史上2位。そんな野村と南海でバッテリーを組んだのが杉浦忠だ。杉浦は立大では長嶋とチームメート。投手陣も豪華な世代で、杉浦と甲乙つけがたい好投手が並んでいるが、ここは“ドリームチーム”、プロで実現しなかった夢のラインアップを構成したい。
遊撃には本屋敷錦吾を置いて、“立大三羽ガラス”が勢ぞろいした。東京六大学のヒーローが多いのも、この世代の大きな特徴。早大からは59年に本塁打王、打点王の打撃2冠に輝いた森徹が、明大からは“天秤棒打法”の近藤和彦が、ともに外野手として並んでいる。
夢のクリーンアップ“NN砲”

南海・野村克也
一塁の藤井弘は長く広島で中軸を担い、“サヨナラ男”とも呼ばれた勝負強さを誇る好打者。長嶋の伝説として語り継がれる“本塁打で一塁を踏み忘れてアウト”の登場人物でもある。このとき、ベースを踏まなかったとアピールした一塁手こそ藤井だ。
二塁の岡嶋博治は58年から2年連続で盗塁王となった俊足選手で、韋駄天タイプの少ない世代でもリードオフマンとなりそうだ。外野の毒島章一は主将として“暴れん坊”たちをまとめ上げた“ミスター・フライヤーズ”。史上2位の通算106三塁打でも球史に残る好打者だ。
野手はセ・リーグが優勢だが、好投手はパ・リーグばかり。通算勝利で杉浦を上回るのが
梶本隆夫(阪急)と
皆川睦男(南海)で、梶本は阪急を低迷期から黄金期までの長きにわたって支え続けた速球派左腕。“一球入魂”の皆川は杉浦とチームメートでもあり、同じサブマリンだが、故障で短命に終わった杉浦と対照的に息の長い活躍を続け、68年に31勝を挙げた“最後の30勝投手”だ。野村とは同期入団で、バッテリーの相性も抜群。テンポのいい投球で鳴らした“江戸っ子投手”
土橋正幸(東映)もいて、投手陣は盤石だ。
打線は、やはり長嶋が“四番・サード”だろう。プロでは実現しなかった野村との“NN砲”も夢のクリーンアップだ。長嶋や野村は監督としても結果を残したが、のちに近鉄や
オリックスを率いた頭脳派二塁手の
仰木彬(西鉄)も同世代。口ではいろいろ言い合っても、試合になると急に抜群のチームワークを発揮しそうな世代でもある。
写真=BBM