いよいよ第100回の大きな節目を迎える夏の甲子園。その歴史にこそ届かないが、80年を超えるプロ野球を彩ってきた選手たちによる出身地別のドリームチームを編成してみた。優勝旗が翻るのは、どの都道府県か……? 二遊間に“巌流島”
香川といえば讃岐うどんを思い浮かべる向きも多いだろう。瀬戸内海を渡って香川で食すうどんは、本州のそれとは違う食べ物のような歯ごたえだ。食堂での提供方法は独特で、値段も手ごろ。そのスタイルは他の地域にも受け入れられ、今や“讃岐”と冠するうどんを香川と同様の提供方法で食べられない都道府県はないだろう。
気候は温暖だが雨は少なく、各地に灌漑設備が点在。面積の狭さは日本一だが、平野部が多く、海を挟んで大坂など近畿圏と近いこともあって人口密度は高い。
県下の尽誠学園高にはプロ野球で成功した卒業生も少なくないが、その多くは関西地区の出身者。逆に、大坂府のPL学園高から大洋へ進んだ中堅の
中塚政幸は香川県の出身だ。
【香川ドリームチーム】
一(中)中塚政幸(大洋)
二(二)三原脩(巨人)
三(遊)水原茂(巨人)
四(三)
中西太(西鉄)
五(左)
島谷金二(阪急ほか)
六(一)
宮武三郎(阪急)
七(右)
穴吹義雄(南海)
八(捕)
岡村浩二(阪急ほか)
九(投)
西村貞朗(西鉄)
プロ野球との関わりは同じ四国の愛媛県と並んで古い。巨人の契約第1号となったのが三原修(脩)。2リーグ制となってからは西鉄や大洋を日本一へと導いた名将でもある。
その最大のライバルだった水原茂(円裕)も香川県出身だ。草創期の巨人で正三塁手を務め、シベリア抑留から帰還すると、三原を追うように監督に就任。監督となった2人の対決は“巌流島の決戦”と呼ばれ、プロ野球史における最大のライバル物語として残る。
水原と三塁に重なるのが、三原とともに西鉄を黄金時代に導いた“怪童”中西太。ここはドリームチーム、水原を経験のない遊撃にコンバートして、三原との二遊間としてみた。コンビプレーが不可欠な二遊間に並ぶ最大のライバル。水原の遊撃守備も含めて不安もあるが、夢もふくらむ。
打順も盗塁王にもなった中塚が一番で、三原が二番、1937、38年の巨人と同様に水原が三番。四番には西鉄黄金時代と同じく中西で、打順でも三原と中西に水原が挟まる。2リーグ前夜の巨人とは対照的に“三原派”から追い詰められた形だが、シベリア抑留にも屈したかった水原のことだから、むしろ攻守の要として機能してくれそうだ。
水原と慶大のチームメートで、阪急の契約第1号となったのが一塁の宮武三郎。のちに阪急で黄金時代を支えたのが捕手の岡村浩二(幸治、浩司)と三塁手の島谷金二だが、島谷はベストナイン7度の中西に定位置を譲り、三塁の延長という位置づけで未経験の左翼へ。
ちなみに、
中日時代に二塁手だった島谷を三塁手に転向させたのが監督だった水原で、阪急時代と合わせてゴールデン・グラブ4度の名手に成長。強打の島谷は中西に続く五番打者は適任だが、未経験の左翼で堅守が生かせるか。また、左翼が多かったが右翼も経験がある穴吹義雄(隆洋)が“玉突き”で右翼に回る一方、打順では阪急勢に割って入った。
勝敗を分ける中西の打棒

西鉄・中西太
エースは西鉄黄金時代の右腕で完全試合も達成した西村貞朗。同様にエース格の活躍を見せた
安藤元博(東映ほか)と
大矢根博臣(中日ほか)の三本柱に、現役で8年目の2017年にブレークした
秋山拓巳(
阪神)が続けるか。
投手陣の層は厚くなく、守備も未知数。プロ野球で初めて代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放った
樋笠一夫(巨人ほか)も控えるだけに、カギを握るのは打線だ。4度も打撃2冠に輝いた中西のバットに勝負が懸かる。
写真=BBM