いよいよ第100回の大きな節目を迎える夏の甲子園。その歴史にこそ届かないが、80年を超えるプロ野球を彩ってきた選手たちによる出身地別のドリームチームを編成してみた。優勝旗が翻るのは、どの都道府県か……? 投打の中心はパ・リーグ勢
日本で最大の面積を誇る琵琶湖を県の中央に抱える滋賀県。県の面積で、琵琶湖が占める割合は6分の1にもなる。古くから東西をつなぐ交通の要所で、“近江商人”たちが往来して商業も活発に。その一方で、戦国時代には幾度も戦乱の舞台となり、織田信長の安土城は現在の近江八幡市にあった。山岳地帯も多く、忍者の里で有名な甲賀も滋賀県にある。かつては近江米で有名な農業県だったが、近年は工業地帯も多い。医薬品は主要産業のひとつであり、伝統産業でもある。
そんな滋賀県出身のプロ野球選手は、かなり投手に名選手が偏っている。人数も決して多くはないが、印象に残る投手たちだ。
【滋賀ドリームチーム】
一(中)
柴田博之(
西武)
二(一)
君野健一(近鉄)
三(遊)
人見武雄(
阪神)
四(三)
松田宣浩(
ソフトバンク)★
五(捕)
荒川昇治(松竹ほか)
六(右)
桜井広大(阪神)
七(二)
奥村展征(
ヤクルト)★
八(左)
石田博三(阪神)
九(投)則本昂大(楽天)★
(★は現役)
エースには期待も込めて、獲得タイトル数が最多の則本昂大を据えた。2014年から4年連続で最多奪三振に輝く楽天の現役エースだ。
通算勝利でトップに立つのは“トレンディー・エース”
西崎幸広(
日本ハムほか)。1980年代終盤から90年代にかけてパ・リーグで一時代を築いた右腕で、ここでは則本との二枚看板に。そのチームの先輩では
間柴茂有(富裕。日本ハムほか)がいて、81年に開幕から無傷の15連勝でリーグ優勝の立役者となった左腕。
翌82年にセ・リーグでリーグトップの勝率でリーグ優勝に貢献した左腕が
都裕次郎(
中日)だ。その後輩には現役の
小熊凌祐(中日)もいて、この強力スターター人に続く存在と言える。
古くは55年に最優秀防御率となった
中川隆(毎日)がいた。活躍した期間は短かったが、さらにさかのぼると、わずか2年の在籍ながら強烈な印象を残した“琵琶湖の旋風”
広瀬習一(
巨人)がいる。41年8月に初登板初完封でデビュー、深刻な戦力不足に苦しむ戦時下の巨人で黙々と投げ続け、翌42年には21勝を挙げてチームを優勝に導き、そのオフに応召、そして戦火に散った。
旋風のようなプロ野球人生だったが、ここでは投手陣のリーダー格として歴代のエースを引っ張ってくれそうだ。
チームを鼓舞する元気印

ソフトバンク・松田宣浩
リードオフマンは韋駄天の柴田博之で、55年にウエスタン打点王となった君野健一が続く。三番の人見武雄と四番の松田宣浩が三塁に重なるが、ここでは人見を遊撃へ。
遊撃や三塁が多い奥村展征は押し出されて二塁へ回り、打順は七番。50年に強打の司令塔として松竹のリーグ優勝を支えた荒川昇治が五番に入ったが、通算122盗塁の韋駄天でもあり、珍しい「一番・捕手」として打線を引っ張り、柴田との一、二番コンビもおもしろいかもしれない。
柴田の両翼にいるのが六番の桜井広大、八番に入った投手出身の石田博三ら虎のバイプレーヤー。人見も阪神で正三塁手を務めていて、阪神勢が多いのも特徴だ。
安定感や破壊力は物足りない打線だが、持ち味の機動力を最大限に生かしたクセのある攻撃で1点を奪い、それを投手陣が死守していくのが勝ちパターンになってきそうだ。長距離砲タイプではないが、ここでの主砲は松田だ。打線の主軸として、内野守備の要として、そしてチームのムードメーカーとして。松田の仕事は多そうだ。
写真=BBM