
息詰まる接戦が一瞬にしてワンサイドゲームに
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は8月9日だ。
藤田平監督でスタートした1996年の
阪神。結果だけを見たら、いいところなく最下位に終わったシーズンだ。
特に深刻だったのは、リーグワースト打率.245の打線だったが、1日だけ、いや1イニングだけ、まったく別のチームのように打ちまくったことがある。
8月9日、横浜戦(横浜)だった。序盤は阪神先発・
古溝克之、横浜先発・
斎藤隆ともまずまずのピッチング。両軍の後続投手も踏ん張り、3対3で延長戦となった。
試合が動いた、いや壊れたのは12回表、阪神の攻撃だ。横浜の四番手・
盛田幸妃から四球、安打、四球で満塁にした後、マースが勝ち越しタイムリー。
その後も打つわ、打つわで、17人攻撃で一挙11点。これは延長戦1イニングの日本記録で、世界記録まであと2点だった。
「世界記録なんていりまへんわ。でもあの回、ベンチは乗ってました」。さすがの鬼平・藤田監督もニコニコだ。
すごかったのが、適時打のマースの代走で出た
米崎薫臣だった。一度生還した後、打席にも入り2点タイムリー。その後、ホームにもかえって1打席2得点だ。
試合終了は11時57分、試合時間は5時間36分。12回までの試合としては当時の最長記録だった。
写真=BBM