1993年オフからスタートしたFA制度。いまや同制度は定着し、権利を得た選手の動向は常に注目されている。週べONLINEでは、そのFAの歴史を年度別に振り返っていく。 巨人とダイエーが大型補強
野茂英雄が近鉄を任意引退という形で退団し、メジャー挑戦を表明したことで大荒れとなった1994年オフ。FA制度2年目ということもあり、ある程度は前年のケースが試金石となったこともあるのか、FA移籍も一気に大荒れの様相を呈していく。また、特に大学や社会人を経てプロ入りした選手などは、ある程度の年齢に達して初めて取得できる資格でもあり、年齢によるものか移籍によるものかは分からないが、FAで移籍したものの、新天地で明らかに数字を落とすなど、結果を出せないケースも出てくるようになった。
【1994年オフのFA移籍】
11月25日
金村義明(近鉄→
中日)
12月5日
川口和久(
広島→
巨人)
12月5日
広沢克己(
ヤクルト→巨人)
12月8日
山沖之彦(
オリックス→
阪神)
12月14日
石毛宏典(西武→ダイエー)
12月14日 工藤公康(西武→ダイエー)
左腕の川口が広島から、長距離砲の広沢がヤクルトから、同じセ・リーグの巨人へFA移籍。巨人は
香田勲男とのトレードで近鉄から左腕の
阿波野秀幸、ヤクルトを自由契約となったハウエルも獲得するなど、豊富な資金力を背景に大型補強を敢行した。FAの川口は先発に、広沢は四番にも座ったが、翌95年は加入した4選手すべてが成績を落とす結果に終わる。それでも川口はリリーバーとして再生して96年の胴上げ投手となり、広沢も97年には安定感を取り戻している。
資金力で巨人に負けていないのがダイエーだ。このオフ、
王貞治監督が就任。前年オフに大型トレードで黄金時代にある西武から
秋山幸二を獲得したのに続き、同じ西武からFAでチームリーダーの石毛宏典、エース左腕の工藤公康を獲得した。石毛は西武から現役引退、そして新監督就任を打診され、現役にこだわってのFA移籍で、新天地では結果を残せなかったが、工藤は秋山と並ぶ投打の柱として、低迷が続いていたダイエーを頂点へと引っ張っていくことになる。
一方、近鉄の“いてまえ大将”金村は中日では出場機会が激減。阪急時代から活躍を続け、オリックスで
土井正三監督となってから登板機会を減らしていた山沖之彦は阪神では故障で一軍登板のないまま現役を引退している。
FAによる年俸高騰で戦力外が続々

日本ハムから巨人へFA移籍した河野博文は96年、メークドラマで重要な役割を担った
続く95年オフは、FAによって年俸が高騰したことのあおりを受け、戦力外通告を受けるベテラン選手が続出。西武の
辻発彦はヤクルトへ、ダイエーの
山本和範は近鉄へ、日本ハムの
田村藤夫は
ロッテへ移籍を果たしたが、いずれも格安での契約だった。そんな“不景気”に引きずられるかのように、FA移籍も一気にトーンダウンしていく。
【1995年オフのFA移籍】
11月16日
仲田幸司(阪神→ロッテ)
11月29日 河野博文(日本ハム→巨人)
移籍したい気持ちはなかったが、阪神に「君のFA権など紙切れ同然」と言われてロッテへFA移籍した左腕の仲田は、新天地・ロッテの2年間で1勝も挙げられないまま引退。日本ハムの先発左腕だった河野も巨人で春先には二軍落ちしたものの、リリーバーとして復活を遂げる。前年に加入した川口、阿波野と左腕によるリリーフ陣を形成して、翌96年の最優秀中継ぎ投手に。
長嶋茂雄監督が掲げた“メークドラマ”で重要な役割を担った。
写真=BBM