今シーズンで在籍10シーズン目を迎えた
阪神のランディ・メッセンジャー。2010年に入団してから阪神一筋というだけでなく、ずっと先発ローテーションの一角として活躍し続けているのはすごいことだ。では、メッセンジャーのように長く在籍した外国人助っ人にはどんな選手がいたのだろうか?
FA資格を取得するほど長くいた選手は?
現役ではメッセンジャーが最長だが、すでに引退した選手の中には、メッセンジャー以上の在籍年数を誇る助っ人も数多くいる。外国人登録枠が定められた1952年以降に入団し、10年以上活躍した選手を紹介しよう。※独立リーグでのプレー期間を除く
●許銘傑(しゅう・みんちぇ)……14年(西武2001~2011年、
オリックス2012~2013年)
2000年に西武に加入した許は、2011年にFA資格を取得。その年のオフにFA権を行使してオリックスに移籍した。外国人選手のFA移籍は史上初のことだった。移籍先のオリックスでも2年を過ごし、なんと14年間もの期間を日本で過ごしている。
●郭泰源(かく・たいげん)……13年(西武1985~1997年)
「オリエンタル・エクスプレス」の愛称で知られる郭泰源は、1985年から1997年の引退まで西武一筋だった選手。1996年には外国人選手として初のFA資格も取得している(行使することはなかったが……)。

近鉄時代のローズ
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タフィ・ローズ……13年(近鉄1996~2003年、
巨人2004~2005年、オリックス2007~2009年)
王貞治のシーズン最多記録に並ぶ55本の本塁打を記録するなど、毎年のようにホームランを量産したローズ。近鉄、巨人、オリックスと渡り歩き、トータルで13年という長い期間日本でプレーした。
●アレックス・ラミレス……13年(ヤクルト2001~2007年、巨人2008~2011年、
DeNA2012~2013年)
現在はDeNAの監督を務めるラミレスは、ヤクルト、巨人、DeNAと渡り歩き、日本プロ野球でのプレー期間は郭泰源やローズと並ぶ13年となる。また、外国人選手としての出場試合数は1744試合で、2位のローズを70試合も上回る最多記録だ。
●アレックス・カブレラ……12年(西武2001~2007年、オリックス2008~2010年、
ソフトバンク2011~2012年)
2000年代の西武の「打の象徴」ともいえるカブレラは、西武で7年を過ごした後にオリックスに移籍。2011年にはソフトバンクに移籍して、合計12年間、日本でプレーした。独特のバッティングフォームは、当時多くの野球少年がマネをしたものだ。

阪急時代のバルボン
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ロベルト・バルボン……11年(阪急1955~1964年、近鉄1965年)
1950年代から1960年代にかけて、巧みなバッティングと快足を武器に活躍したキューバ出身のプレーヤー。3年連続で盗塁王にも輝いた(外国人選手の盗塁王はこのバルボンと
ラリー・レインズの二人だけ)。引退後はコーチや通訳を務め、86歳になった現在もオリックスで野球教室の顧問として活動している。
●ボビー・マルカーノ……11年(阪急1975~1982年、ヤクルト1983~1985年)
阪急の黄金期を支えた一人で、1978年には打点王にも輝いている。阪急で8年過ごした後にヤクルトに移籍し、そこで3年プレーして引退。引退後は巨人のスカウトを務めた。ちなみに現役時代、阪急でマルカーノの通訳を務めていたのがバルボンだった。
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レロン・リー……11年(ロッテ1977~1987年)
オリオンズ時代のロッテを代表するスター助っ人の一人。加入1年目にいきなり本塁打と打点の二冠に輝く大活躍を見せ、その後もコンスタントに3割を超える打率を記録するなど強力なロッテ打線を牽引した。
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ホセ・フェルナンデス……11年(ロッテ2003年、西武2004~2005年、楽天2006~2008年、オリックス2009年、西武2010~2011年、楽天2012年、オリックス2013年)
4球団を渡り歩いた希代の助っ人外国人。ここぞというときの頼れるバッティングが持ち味で長打力もあるため、西武や楽天、オリックスは一度解雇した後も呼び戻して起用した。言い方は悪いが「便利な選手」だったのだろう。

大洋時代のレオン
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レオン・リー……10年(ロッテ1978~1982年、大洋1983~1985年、ヤクルト1986~1987年)
ロッテで活躍したレロン・リーの弟で、大洋にトレードで移籍するまで兄弟で強力打線を形成した。兄同様に安定感のあるバッティングが特徴で、通算打率.308という好成績を残している。
●ブーマー・ウェルズ……10年(阪急/オリックス1983~1991年、ダイエー1992年)
場外本塁打を連発するパワーと、的確にボールをとらえるミート力の両方を兼ね備えた阪急のレジェンド外国人。10年間プレーして首位打者2回、本塁打王1回、打点王4回と圧倒的な成績を残した。ちなみに、当時ブーマーの通訳など身の回りの世話をしていたのが前述のバルボンだ。名選手の陰にバルボンあり。
●ブライアン・シコースキー……10年(ロッテ2008~2009年、巨人2004~2005年、ヤクルト2007年、ロッテ2008~2009年、西武2010~2011年、2013年)
4球団で中継ぎやリリーフとして重宝された外国人助っ人投手。西武時代の2010年には最多セーブのタイトルにも輝いた。毎シーズン多くの場面で起用され、登板数は外国人選手史上2番目(2019年6月12日現在)の438を記録している。
●宮本敏雄……10年(巨人1955~1962年、国鉄1963~1964年)
水原監督時代の巨人を支えた選手の一人。ハワイ出身の日系アメリカ人で、ハワイの陸軍選抜チームで活躍したことがきっかけで、巨人に入団した。強力なバッティングが持ち味で、打点王にも2回輝いている。
●平山智……10年(広島1955~1964年)
上の宮本と同じ日系アメリカ人。当時の広島は
銭村健三・健四兄弟など日系アメリカ人が多く在籍しており、平山もその一人だった。1964年に引退後は広島でコーチを務めている。
●ジェイソン・スタンリッジ……10年(ソフトバンク2007~2008年、阪神2010~2013年、ソフトバンク2014~2015年、ロッテ2016~2017年)
2018年に引退したスタンリッジも、都合10年間、日本でプレーした外国人選手だ。迫力のあるストレートと多様な変化球が持ち味だが、打線の援護がもらえずに負け投手になることも多かった。引退したがFA権を取得しているため、現役復帰の際は日本人選手と同じ扱いになる。
ちなみに、外国人登録枠ができた1952年以前に活躍していた選手では、例えば日本プロ野球黎明期に活躍した巨人の
ヴィクトル・スタルヒンが19年、ハワイ移民の日系2世である阪神のエース・
若林忠志が16年間プレーしている。
また、1960年代から1970年代にかけて活躍した韓国人プロ野球選手の
白仁天も19年間と長い期間日本でプレーした選手。ただ、出生時に日本国籍を有していたためにルール上では「外国人枠」に含まれていない。
現役選手でNBP在籍期間が長いのは誰?
では、現役選手で見るとどうなっているのだろうか。メッセンジャーの10年目に続く在籍期間の外国人選手をピックアップしてみた。
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ウラディミール・バレンティン……9年目(ヤクルト2011年~)
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デニス・サファテ……9年目(広島2011年~2012年、西武2013年、ソフトバンク2014年~)
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スコット・マシソン……8年目(巨人2012年~)
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ブランドン・ディクソン……7年目(オリックス2013年~)
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ホセ・ロペス……7年目(巨人2013~2014年、DeNA2015年~)
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アルフレド・デスパイネ……6年目(ロッテ2014~2016年、ソフトバンク2017年~)
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チェン・グァンユウ……6年目(DeNA2014年、ロッテ2015年~)
※獲得は2011年だが支配下登録は2014年からのため
メッセンジャーに次ぐ年数なのがヤクルトのバレンティンとソフトバンクのサファテ。バレンティンは、長期の離脱がない限りは今シーズン中のFA権取得が濃厚だ。一方のサファテは難しい状況が続いている。巨人のマシソンも気が付けばもう8年目。命を脅かす感染症の影響で長期離脱をしていたが、6月6日の楽天戦(楽天生命パーク)で見事に復帰。完全復活までまだ時間がかかるかもしれないが、できれば気長に調整してもらいたいところだ。
10年以上日本でプレーした外国人選手をまとめてみたが、チーム史に残る活躍を見せたレジェンドから、さまざまなチームで重宝される助っ人まで幅の広い面々になった。中には「そんなに長くいたのか!?」と意外に感じる選手もいたのではないだろうか。メッセンジャーやバレンティン、サファテといった選手はこうしたレジェンドたちに加わるのか、彼らの今シーズンの活躍に注目だ。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM