プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。 巨人を倒してこそ真の日本一

83年、巨人との日本シリーズ第6戦でサヨナラ打を放った西武の金森
NHK大河ドラマ『獅子の時代』が放映されたのが1980年。大河ドラマで初めて明治時代を中心に描いた画期的な作品だったが、このとき、プロ野球にも新たな“獅子の時代”が訪れようとは、誰が予想しただろうか。
獅子、つまり西武ライオンズは、後期こそ優勝争いに絡んだものの、シーズン通算では4位。翌81年も前期は2位に浮上したが、後期は5位、シーズンでは2年連続5位と、とても時代を象徴するようなチームになるようには見えなかった。ところが、続く82年には
日本ハムのプレーオフを制して、西武となって初優勝。日本シリーズでも
中日を破り、日本一に輝く。当時、“球界の盟主”といえば巨人であり、V9時代ほどの圧倒的な強さは影をひそめ、戦力の顔ぶれも大きく変わったとはいえ、盟主の貫録は健在。そんな勢力図を脅かし始めたのが西武だった。
西武には、巨人を倒してこそ真の日本一、という雰囲気があったことは確かだ。巨人と西武。90年代を経て21世紀に入っても、たびたび繰り広げられた日本シリーズだが、その初対決が83年だ。“球界の盟主”を懸けた頂上決戦らしく、一進一退の攻防が続いた。
第1戦(西武)は西武がエースの
江川卓を打ち込んで先勝。だが、第2戦(西武)は
西本聖が西武を完封して早くも振り出しに戻す。第3戦(後楽園)は
中畑清のサヨナラ打で巨人が2勝目。この試合後、重苦しいムードに包まれた西武ナインだったが、ミーティングで
広岡達朗監督がマイクを持って「カラオケはないか」と言った(あるいは1曲だけ歌った)という話も伝わる。これで雰囲気をほぐすと、第7戦まで緻密にシミュレーションして、ナインの不安を取り除いたという。
第4戦(後楽園)は
立花義家の2ランで逆転した西武が
松沼雅之、
森繁和らの継投で逃げ切り。だが、第5戦(後楽園)は西本が完投、クルーズのサヨナラ3ランで巨人が王手。だが、これも広岡監督の想定内だった。そして迎えた第6戦(西武)は、西武が左腕の
杉本正、巨人が槙原の先発で幕が開けた。
シリーズの流れを変えた一打
先制したのは巨人だった。1回表、杉本の立ち上がりを攻め、四番の
原辰徳が適時打を放って、まず1点。だが、5回裏には
石毛宏典の適時三塁打で同点に追いつくと、6回裏には
大田卓司のソロ本塁打で逆転に成功する。それでも9回表二死一、二塁から中畑が三塁打を放ち、土壇場で逆転。その裏、このシリーズ2勝の西本がリリーフに立ち、勝負は決まったかと思われた。
しかし、さらなる土壇場、広岡監督に「完投しても疲労が残るから次は打てる」と分析されていた西本から4連打で同点に。このシリーズ初の延長戦へと試合はもつれ込んでいく。そして10回裏、巨人はエースの江川を投入するも、一死から大田、テリーが連打。二死一、二塁から代打に立ったのはプロ2年目の
金森栄治だった。左翼のクルーズは前進守備を敷いていたが、金森の打球はクルーズの頭上を抜くサヨナラ二塁打に。これで一気に流れが変わった。
ともに3勝3敗で迎えた第7戦(西武)は、またしても巨人が先制したが、7回裏に西武が逆転。そのまま連続日本一を決めている。
1983年11月5日
西武-巨人 日本シリーズ第6戦(西武)
巨人 100 000 002 0 3
西武 000 011 001 1X 4
(延長10回サヨナラ)
[勝]永射(1勝0敗0S)
[敗]江川(0勝2敗0S)
[本塁打]
(西武)大田1号
写真=BBM