再編に荒れるパ、ドラフトを荒らすセ

一場は自由獲得枠で楽天へ
平成16年、2004年は、パ・リーグにプレーオフが導入され、
日本ハムが北海道へ移転して1年目のスタートを切ったシーズンでもあるが、こうした変革の動きは拡大し、そして混乱していったシーズンでもある。6月には近鉄が
オリックスとの合併が合意したと発表。1リーグ制への移行も取り沙汰される一方、インターネット関連サービス会社のライブドアが近鉄を買収する意向を示すなど、プロ野球は空前の大混乱となっていった。
9月には選手会が史上初のストライキを敢行。結局、近鉄とオリックスは合併して近鉄が“消滅”、新球団の楽天が参入することになったが、そんな中、
ソフトバンクが黄金時代のダイエーを買収することを発表、
西武も複数の企業へ球団の売却を持ちかけていたことが明るみになり、近鉄とオリックスの選手が新生オリックスと新球団の楽天へ分配ドラフトで振り分けられるなど、ドラフトの前後になっても、なかなか嵐が静まる気配はなかった。
悪いことは続くものなのか。ドラフトも荒れに荒れた。いや、再編に荒れたパ・リーグの一方で、ドラフトを荒らしたのはセ・リーグだった。150キロ右腕で、自由獲得枠の争奪戦が繰り広げられていた明大の
一場靖弘だったが、まず8月に
巨人による金銭授受問題が発覚し、巨人は獲得を断念、一場も学生野球憲章に違反するとして野球部を退部となる。その後、横浜と
阪神も一場の獲得を目指すも、同様の問題が判明。巨人、横浜、阪神の3球団でオーナーが辞任する事態となった。
ただ、一場を除くドラフトの自由獲得枠は、相変わらずの予定調和というか、手堅く推移していく。球界再編に追われる週刊ベースボールでも予想は展開せず、ドラフト直前には高校生の大物をグラビアで特集。その1人が東北高の
ダルビッシュ有であり、横浜高の
涌井秀章だった。
【2004年・12球団ドラフト1巡目】
横浜
那須野巧■
オリックス
金子千尋■
広島 佐藤剛士 ロッテ 久保康友■
阪神
岡崎太一■
日本ハム ダルビッシュ有
巨人
野間口貴彦■
ダイエー
江川智晃 ヤクルト 田中浩康■
中日 樋口龍美■
西武 涌井秀章
楽天 一場靖弘■
(■は自由獲得枠)
日本ハムのドラフト快進撃がスタート
日本ハムはダルビッシュを、西武は涌井を“一本釣り”に成功。ともにパ・リーグを代表するエースとなり、ダルビッシュはメジャーでも活躍を続けている。北海道へ移転したばかりの日本ハムだったが、ここからドラフトでの快進撃が始まることになった。
自由獲得枠では、2巡目で阪神が
能見篤史を獲得。問題の一場は新球団の楽天が獲得した。ただ、このドラフトのトラブルには続きがあり、大学生の注目株で一場に代わって筆頭格となったのが日大の那須野巧だったが、横浜が那須野に最高標準額を大幅に超える契約金を支払っていたことが3年後の07年に発覚。なお、一場はプロ通算16勝、那須野も13勝に終わった。
自由獲得枠が導入されて4年目。その問題が一気に噴出、いや、暴発したのが、この平成16年のドラフトだったのかもしれない。
写真=BBM