埼玉西武ライオンズ
黄金時代の森西武で
秋山幸二、
清原和博とともにAKD砲を担ったオレステス・デストラーデが最強助っ人だろう。1989年6月に来日。この年はわずか83試合で32本塁打をマークすると、翌90年は全試合に出場して、42本塁打、106打点で打撃2冠に輝き、2年ぶりのV奪還に貢献。翌91年も39本塁打、92打点で2年連続打撃2冠を獲得し、続く92年は41本塁打で3年連続本塁打王になり3連覇の力に。日本シリーズでも史上唯一の3年連続開幕戦第1打席本塁打で、西武を3年連続日本一に導いた。93年にはメジャー復帰するも95年に再び西武へ。家庭の問題もあって6月15日に退団したが、5月9日の
オリックス戦(富山)では0対9とリードされた8回裏二死からマウンドに上がるなどプロ野球ファンの記憶に残る瞬間を演出した。
北海道日本ハムファイターズ
陽気な性格でプレー以外のパフォーマンスでも人気を博した「躍るホームラン王」こと、マット・ウインタース。1990年〜94年の5年間にわたって日本ハムでプレーし、パワフルな打撃で4年連続30本塁打以上を放つなど打線をけん引した。タイトルこそ獲れなかったが、愛すべきキャラクターとコンスタントに成績を残し続けた強打の助っ人としてファン人気も高かった。引退後はマイナー・リーグのコーチやスカウトを経て、現在は日本ハムの駐米スカウトとして新たな助っ人選手探しに奔走している。
福岡ソフトバンクホークス
圧倒的なパワーを誇る強打者よりも、相手をねじ伏せる豪腕のほうが目を引くホークスの助っ人陣。とくにリリーフ陣は強者ぞろいで、
ロドニー・ペドラザ、
ブライアン・ファルケンボーグらの名前が挙がる中、最強というと、やはりD.サファテではないだろうか。2014年に西武から移籍すると、入団1年目から64試合に登板して37セーブ。15年以降も60試合以上登板を続け、17年まで3年連続セーブ王に輝いた。圧巻だったのは17年。NPB記録を大きく更新する54セーブをマークしただけでなく、日本一を決める試合(11月4日の
DeNA戦=ヤフオクドーム)では気迫の3イニングの力投。まさに『THE KING OF CLOSER(キング オブ クローザー)』だ。ケガの影響で約2年、一軍のマウンドから遠ざかっているが、名球会の条件である250セーブまではあと16セーブ。到達して、また歴史に名を刻んでもらいたい。
千葉ロッテマリーンズ
ラジコン飛行機を抱えて1977年に来日した
レロン・リー。解説者などの前評判も散々だったが、ふたを開けてみると打率.317、34本塁打、109打点で本塁打&打点の2冠。翌78年から82年まで在籍した実弟のレオンとともに強力打線を形成し、80年には打率.358で首位打者に輝くなどロッテ一筋11年にわたり主軸として打棒を発揮した。11シーズンで規定打席に到達しての打率3割を9度マーク、規定打席不足の82年も打率.320を残すなど、4000打数以上の生涯打率.320は長く日本プロ野球歴代1位の座を守り、現在でも2位。通算283本塁打、912打点を含め、ロッテ史上では文句なしのNo.1、日本プロ野球史上でも最強外国人打者の1人だと言えるだろう。
東北楽天ゴールデンイーグルス
メジャー通算434本塁打の実績を引っさげ、
ケーシー・マギーとともに2013年に加入した
アンドリュー・ジョーンズ。不動の四番打者として球団初のリーグ優勝、日本一に貢献した。この年の成績は打率.243、リーグ最多の164三振を喫するなど粗さもあったが、いずれもリーグトップの105四球、15死球を記録。出塁率.391はリーグ5位と高水準を誇った。7月28日のロッテ戦(Kスタ宮城)では日米通算2000安打を達成する。そして
巨人との日本シリーズでは第4戦(東京ドーム)で本塁打。史上4人目となる日本シリーズとワールドシリーズでの本塁打達成者となった。今年で16年目と歴史の浅い球団ではあるが、その中で大きなインパクトを残した助っ人だ。
オリックス・バファローズ
身長200センチ、体重100キロの巨体から強烈な打球を放ち、抜群の勝負強さを誇った。さらには器用さも併せ持ち、1984年には打率.355、37本塁打、130打点をマーク。外国人選手初となる三冠王を獲得した。前身の阪急時代の83年に加入したブーマー・ウェルズは、まさに最強助っ人だ。本名は『グレゴリー・ウェルズ』で登録名『ブーマー』の由来である“ブームを起こす男”のとおり、日本プロ野球界を席巻。ダイエーに移籍した92年限りでユニフォームを脱ぐまで日本10年間で猛打を振るった。通算1148試合、打率.317、1413安打、277本塁打、901打点の成績も“最強”の称号にふさわしい。
写真=BBM