名選手のラストシーンも
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近鉄で最後に「5」を背負ったのは中村だった
チームの顔というべき選手が背負うのは、やはり「1」と「3」が圧倒的だ。ただ、近鉄の場合は、「1」は投手の
鈴木啓示が背負って永久欠番に。一方の打者では「3」にも主だった選手が並んでいるが、それに比肩する勢力を誇るのが「5」だ。いや、もしかすると、「5」のほうが優勢かもしれない。一般的には「5」にはクセ者タイプが多く、チームの顔に「5」が挙がってくるのも近鉄ならではといえるが、そう思わせるのは、「5」のフィナーレとなった
中村紀洋の存在による。
中村は近鉄にとって最後のリーグ優勝となった2001年に四番打者として46本塁打を放ち、リーグ7位の打率.320に加え、132打点で打点王に輝いた長距離砲。“いてまえ打線”を象徴する強打者の1人だ。92年に入団して「66」を背負い、長距離砲として頭角を現した中村。97年に「3」へと変更したことは近鉄の「3」を紹介した際にも触れたが、これを2000年オフに“返上”、新たに「5」を背負って、いきなりリーグ優勝に貢献した。高校球児と同じ背番号を着ける傾向もある近鉄だが、中村も三塁手。近鉄では4年連続を含む5度、通算でも7度のゴールデン・グラブに輝いた“名手”でもあった。ただ、「5」への変更は高校野球で三塁手のナンバーだからではない。あこがれていた
村上隆行(崇幸)が2000年まで「5」を背負っていて、その移籍で後継者になったものだ。
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中村の前に「5」を背負っていた村上
村上は1984年に入団して「46」を与えられたが、翌85年に遊撃のレギュラーに定着、続く86年には自己最多の22本塁打を放って、その翌87年から「5」に。その後は故障が多く、安定して出場できたシーズンは少なかったものの、「5」1年目の87年には球宴で2打席連続本塁打、89年の
巨人との日本シリーズでは3勝3敗で迎えた第7戦(藤井寺)で2点差に迫るソロ本塁打を放つなど、強烈な印象を残した。村上の14年は系譜では最長となる。
一方、近鉄の「5」を強力にしているのは、期間こそ短いが、系譜に移籍してきた名選手がいるのも大きい。村上の前は、阪急(現在の
オリックス)黄金時代の三番打者だった
加藤英司で、近鉄が3チーム目となり、84年から2年間。その前にも、60年には
中日を初優勝、日本一に導いた打点王の
杉山悟が近鉄の「5」を1年だけ着けて引退。
広島の監督として黄金時代を継承したことでも知られる
阿南準郎が、68年に広島から移籍してきて70年まで背負って現役を終えている。阿南が近鉄で守ったのは三塁だった。
近鉄の歴史に不可欠な男
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78年に首位打者を獲得した佐々木の背番号も「5」だった
近鉄の「5」で最初の三塁手は2代目から。初代の
加藤政一は近鉄の創設に参加して一塁のレギュラーとなるも、2年で引退。名前が同じ
鬼頭政一が52年に西鉄(現在の
西武)から移籍してきて、三塁手としてリーグ4位の打率.320をマークする。鬼頭は戦前からプレーしているベテランで、その後は外野に回って低迷する近鉄を支え、58年までプレーを続けた。西鉄から太平洋、クラウンとチームが変わってから監督も務めた鬼頭だが、その後継者が
林義一コーチで、
千葉茂監督の休養を受けて監督を代行するなど1年間。杉山を経て61年から62年まで着けた
岩下守道も巨人、国鉄(現在の
ヤクルト)でプレーしたベテランのラストシーンだ。
杉山と岩下は外野手だが、その後継者の
高木喬はサウスポーの一塁手。1年目の63年に「5」を背負うと、65年には近鉄の「5」で初めてベストナインに選ばれている。67年オフに高木は西鉄へ移籍して、阿南が継承。阿南の引退で71年に初めて助っ人が着けたが、そのジョンソンは結果を残せず1年で退団した。
そして72年。近鉄の歴史を語る上で欠かせない男が「5」を背負う。
佐々木恭介。近鉄の「5」で唯一のドラフト1位での入団で、杉山らに連なる外野手だ。75年に打率.305をマークして初めて打率3割を突破すると、78年には打率.358で首位打者に。以降3年連続で打率3割を超えて、79年からのリーグ連覇に貢献した。肝炎のため82年いっぱいで現役を引退したが、95年オフには監督に就任。その秋のドラフトでの「ヨッシャー!」の雄叫びでもインパクトを残している。
【近鉄】主な背番号5の選手
鬼頭政一(1952~58)
高木喬(1963~67)
佐々木恭介(1972~82)
村上隆行(1987~2000)
中村紀洋(2001~04)
文=犬企画マンホール 写真=BBM