九州ホークスに輝く96年の58盗塁
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ソフトバンクの背番号「23」を着ける周東。昨季は攻守走に成長を見せた
シーズン50盗塁という数字は、ずいぶん昔のプロ野球のことのような気がしていた昨今。こんな数字は二度と見られないのではないか……と、古くからプロ野球を見てきた者としては希望を失いかけていたところが、なにかと波乱に満ちていた2020年シーズン、悪いことばかりではなかった。その50盗塁を決めて、盗塁王に輝いたソフトバンクの
周東佑京が背負うのが「23」。育成ドラフト2位で18年に入団した周東は、19年の開幕を前に支配下となり、このとき「121」から変更して、まずは足のスペシャリストとして台頭した。迎えた20年は課題の打撃でも成長を見せ、盗塁も倍増させて初タイトルを戴冠。この「23」については、この連載でも
阪神、
ヤクルトのものを紹介してきたが、これまで見たこともないような物語がソフトバンクで始まるのではないか……、そんな期待を抱かせる。
令和という時代とともに表舞台に駆け出たような周東だが、ホークスの歴史は時代の節目で大きく動いてきた。平成とともにチームは南海からダイエーに。それ以上に大きなエポックとなったのは本拠地が大阪から現在の九州は福岡へ移転したことだろう。このとき「23」は外野手の
高柳秀樹が背負っていた。ドラフト1位で1979年に入団して「23」となり、レギュラー定着はならなかったものの、左キラーとして存在感を発揮してホークスひと筋13年。入れ替わりが少なく、長寿の選手が多いのもホークスの「23」が持つ特徴といえる。
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96年には盗塁王に輝いた村松も「23」を背負った
高柳の引退で1年だけ阪急(現在の
オリックス)で84年に三冠王となった
ブーマーが着けたが、これがラストイヤーに。93年に「23」を継承したのが3年目の“平成の韋駄天”
村松有人だった。ドラフト6位で入団したときには「63」だったが、果敢なヘッドスライディングをトレードマークに「23」3年目の95年に規定打席には届かなかったものの32盗塁でブレーク、翌96年に外野の定位置をつかむと、初めて規定打席に到達して58盗塁で盗塁王に輝いた。2004年にオリックスへ移籍して背番号も「3」となったが、09年にソフトバンクとなったホークスへ復帰して2年間プレー。最後の背番号は「35」だった。
村松の移籍によってダイエー最後、ソフトバンク最初の「23」となった
城所龍磨はホークスひと筋15年。背番号も一貫して「23」を背負い続けた。やはり持ち味はスピードと、それを利した守備範囲の広さ。最後までレギュラー定着はならなかったが、プロ13年目の16年には交流戦だけで5本塁打、12打点で打率.415、さらに6盗塁も決める活躍で交流戦MVPに輝いている。村松もホークスでは打率3割を超えられず、以降「23」は機動力に特化されてきたような印象もあるが、系譜を南海にまでさかのぼると、機動力だけではないアグレッシブな一面が見えてくる。
南海には系譜で唯一の打点王&MVP
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南海での選手、監督時代に「23」を着けた飯田
高柳の前に「23」だったのは外野手の
堀井和人。バックアップがメーンながら70年から78年までと長く背負い、79年に「50」となって2年間プレーした。父の
堀井数男も南海の外野手で、戦中から50年代の黄金期を引っ張ったレジェンド。ただ、和人は父の「9」ではなく、その最強のチームメートといえる男の「23」を継承した。
その前任は
飯田徳治監督。コーチに就任した68年から現役時代の背番号を着けたものだ。ヤクルトの「23」でも源流として紹介した鉄人で、ホークス“元年”となる47年に入団して「23」を背負った。“100万ドルの内野陣”の一塁手として51年から2年連続で打点王、外野に回った55年にはMVP。クリーンアップが中心だったため盗塁は増えなかったものの、それでも52年から国鉄(ヤクルトの起源)1年目の57年まで6年連続で40盗塁を超える韋駄天ぶりだった。
ただ、もともと「23」はバッテリーの系譜。プロ野球に参加した38年の秋季に着けた初代の
佐野誠三、41年に2代目となった
荒木正が捕手で、42年に投手の
木村忠雄が着けるも、すぐ荒木が「23」に復帰、背番号の廃止と戦争による中断を挟んで46年に着けた
野口渉は捕手だ。飯田も社会人では投手を兼ねていて、南海でも1年目は2試合に登板している。
【ソフトバンク】主な背番号23の選手
飯田徳治(1947~56、68~69)
高柳秀樹(1979~91)
村松有人(1993~2003)
城所龍磨(2004~18)
周東佑京(2019~)
文=犬企画マンホール 写真=BBM